土倉牛車道から五社峠、白倉山、仏ヶ峰、三船山、オク山、梅ヶ井戸を探索、旧吉野街道下山
2011/06/22
単独

コースタイム
駐車場08:05-五社峠09:06-王峠10:50-三船山11:50-12:20-オク山13:21-西河分岐14:02-水場14:21-西河分岐14:37-
梅ヶ井戸14:40-西河15:10-駐車場15:15
総時間7時間10分
三船山について

三船山は地形図に表されていません
私の行った三船山は、ヤフー地図やグーグルマップに表されていますが、川上村の案内では象山の谷一つ東です
どちらが正しいか私には分かりませんが、どうやら象山の東上がそのように思います

6月19日に蜻蛉の滝から青根ヶ峰に登り、下山を旧吉野街道から分岐する聖天の岩屋の峰を、蜻蛉の滝に下山するコースを歩いた
その時出た、仏ヶ峰の案内に興味を持ち、今回土倉庄三郎翁の整備した土倉牛車道から、白倉山に登り、三角点大谷の有る、オク山まで尾根を縦走して、仏ヶ峰や王峠、梅ヶ井戸を探索して、少し本居宣長の、菅笠日記の気分を味わった

国道169号線の五社トンネルを出るとそこから川上村だ
川上村と言えば、明治期に活躍した、土倉庄三郎翁の地、コノ土倉氏が当時の北山街道の近代化は道にあると、私財で作り上げた道が、五社峠を越える。土倉牛車道、この道から、川上村が整備した白倉山に登った


トンネル出口直ぐにある横断橋を右手に曲がり、もくもく館の駐車場に車を止め準備、
国道を越え、西河の集落から、牛車道を登って行く、地図を頼りに、ここだと村中を山に向かった



ソウルさんが喜びそうな古民家を楽しみ写真の小道をあがると立派な、土倉道が山に向かって登っている


この方達が付けたと思われる道標が残り、ヤヤ倒木や、山抜け点は有るが、立派な道が残っている
明治期の道としては、メチャ立派だ
クネクネと登り傾斜は緩いが、一汗流す。
折しも、今日は六月の最高気温39度が関東で出たと言う。
暑くってめまいがしそうだった

何処までクネクネが続くのか
エーイ直登だと小さな尾根を登ると又土倉道が出る。ふー 暑いがクネクネと行くか
旧川上道分岐が出ると、後少しで五社峠、峠は崩壊が始まっているが、通行には問題はない
川上鹿塩神社参道を神社に向かい登る


神社で柏手を打ち、神社裏から踏み跡やテープに誘われ、三角点白倉山に飛びだした
ここに、宝来の鈴さんの点名板があり何やら嬉しい
点の記は、彼女の物を拝借したい


細い尾根を南に向かうと、NHK電波塔があり、その下に、立派なミニ大蛇グラのような展望台が出る
見晴しは最高で、川上村のおもだった山々が見晴らせる

これから向かう青根が峰への尾根             金剛山も見える               展望台
  
正面の白屋岳 鎧岳 白鬚の峰、大峰山系に 遠く霞んで、台高の山々、 360度の緑は川上村その物だろう
眼下には大滝や取付いた西河集落が美しい、
五社峠に戻り尾根縦走にはいるが、
通常は北側の鉄塔管理道から取付くだろうが、登りに道らしい跡を見たので、南側のその道らしい所から尾根に出ようと、五社峠南側にくだる
これが、大きな間違いで30mも入ると道が無くなり、失敗だと、思うが引き返さず、そのままコンパスを、尾根にあるだろう、鉄塔に合わせ、
斜面をどっこらしょと、登るとそこに、気の小さなマムシが迎えてくれた

南側小道
 

マムシについて
写真の模様がマムシです。、毒は強いが大人を死に至らしめるほど強くはない噛まれると、血清注射が必要で入院がいる場合もあるだろう
棒切れで押さえ写した物だが、よく押さえた棒に攻撃を加えるが、コノ、マムシは逃げ一本だった
攻撃されたとしても、1mも飛びつく事はない、夏場は谷に降り、秋から尾根に多いという
シッポを踏みつづけていると噛まれるだろうが、側を通ったくらいでは攻撃しない
警戒音は、シッポをカラカラと振るわせ音を出す時がある

もし噛まれた場合は、色や形を記憶して、落ち着いて下山して、119番のお世話になろう

私は蛇類は嫌いだが、恐れる事はない
山で一番怖いのは、スズメバチの攻撃だ、
これは命を落とす事もある、なるべく白い服を着ると、ヤヤ攻撃から逃れられるという。黒色に攻撃する習性があると聞く
尾根はルンルン道、小さなピークに一つ目の仏ヶ峰が出た。
山名版が一番多かった。私も下山して調べると、本居宣長の菅笠日記から推測してここだろうと、感じた
 
西に下山すると、直ぐに小さな峠が出て、道標が出る
 
右樫尾、左吉野山、蜻蛉の滝だ、この付近に本居宣長の縁の梅ヶ井戸が有ると北山村役場で聞いているが、
探索は下山時と正面の尾根に取付くが、踏み跡は薄い
馬酔木のブッシュをかき分け登ると尾根に薄いが踏み跡が出た

この上から分岐尾根に入り、四等三角点樫尾の有る、三船山をピストンした
三船山は何やら、謂れがある山だろうが、あまり美しいピークではなく、小さな盛り上がりが山らしい所だ 
三角点は土に埋もれ、有る有ると探すと保護石に守られ点は出た

東経
標高(m)
点名 樫尾
埋設 昭和57年6月29日
所在地 奈良県吉野郡吉野町大字樫尾字コマノ谷526番地
引き返し、山渓の奈良県の山の本にある仏ヶ峰山頂610mに、小さな見慣れたラミネート山名版が係っていた

いかにも山頂らしい所ではあるが、本居宣長が休んだ茶店の出来る要素は無いと思われるピークだった
尾根を越え、王峠と書かれた山渓の地点は、峠と言うより、垰、左手は山越えをするには不向きな傾斜だった
ショウタン的にはここは王峠では無いだろうと思うが、さだかではない
西に登るのは急斜面、木を持つ登りだった
途中に石積み跡が出たが意味は分からない


小さなピークを越え登ると、三等三角点、大谷が出た
ここが、昭文社地図とカシミールが言う、仏ヶ峰だが、地元民はオク山と言う
今日もこのページを書くにあたり、土倉牛車道整備のリーダーの奥様からその情報を得た
点の記は、上田倖弘氏の点名板をお借りしたい

注 上田倖弘氏は奈良県の三等三角点以上を全点走破した方で、大和の三角点を尋ねて、上下2冊を出している

山斜面を南に降り、旧吉野街道に出て、蜻蛉の滝分岐から西河方面(白倉山)にくだる

小道をくだると、地蔵様が出る そこが、西河と、樫尾の分岐だ
地蔵には、左よしの、右 かみいちとある。
西河から登った目で案内されている
昔のまま、地蔵が鎮座しているのだろう。古い地蔵はよく動かされ示す方向が逆な時などがある物だが

 上市方面に登り返し、梅ヶ井戸を探索するが、王峠までには無い、途中に気に掛かる分岐が有ったが、ソマ道だろうと、無視した。(ネット検索によるとここを登った方が出る。最後はブッシュらしい)
王峠に出たが井戸は見つからない、それではと、峠を越えて樫尾、上市側に100m少しくだったが、見つからない
代わりに、水が噴き出す地点を見つけた。もう熱中症気味のショウタン、ここで水を頭から被り体温を下げた
呑んでみたが、冷たくメチャ美味しい
 
王峠に戻り、やはり東側が仏ヶ峰だろうと地図を見ていると、植林囲いの網の向こうに、祠跡が出て、古い道標らしい物に、菅笠の字が読みとれた。物から見て行政の物だろう。やはりここを本居宣長が通ったのだろう
確率が高くなったような気がする
とにかく梅ヶ井戸は見つからない、埋まってしまったのか
西河分岐に向かってくだるが、途中の分岐を探索しようか迷ったが、地図ではソマ道のように感じる
マッイイカと、河西分岐にくだる

気候条件の良い時に又来ようと、西河に向かって下って行く
100mもくだっただろうか、石碑が出た。
中郡 材木商人中寄進とある ??
これだと、付近を探すとすぐ下に。立派な湧き水の出る井戸が見つかった
 
石柱の左右に、短歌だろうか、文字が彫り込まれていた
少し土砂が入り込み、杉枝が落ち込んでいるが、透き通った井戸は見事な水を湧き出している
この付近にキット民家が有ったのだろう。宣長もここで休んだ事が伺える

良く残った物だ、街道はハッキリと残り、古い道標が出るが、現在地の読みは難しい
右手に民家が見える。たぶんここだろうと地図を眺めくだる

やはり古道は立派な物で、石畳が表れ、下山して行くと西河民家の上に出た


R169号を横切り駐車場に出た
振り返ると白倉山が、順光に照らされ、山頂の崖を向きだし、テレビ塔を頭に載せて、私を見下ろしていた


西河付近の住民に仏ヶ峰の事を尋ねて五軒廻ったが、その事を知るか方は少ない
昔、山仕事をしていた方が、オク山の所在とその上、吉野道と出会う所が仏ヶ峰だと教えてくれたが、これ又??
想像だが、白倉山から青根ヶ峰までの尾根その物が佛ヶ峰と呼んだ時代があったのかな
こんな事を思いながら登る山は楽しい
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本居宣長の菅笠日記から推測するショウタン的仏ヶ峰550m

ショウタンの山歩録地図について
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図
   画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ
   (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。
   (承認番号 平21業使、第652号)」