岩出市郷の峠から
四石山と昭和山
2014/02/15
ショウタン

ショウタンの時間、少し急ぎ足

安上〜霞峠 30分
霞峠〜境谷60分
境谷〜槌の子峠20分
槌の子峠〜四石山25分

四石山〜昭和山1時間50分
昭和山〜農道40分
農道出合い〜安上35分
総時間6時間30分、休憩とお喋り含む
岩出市の道の駅桜の里から昭和山、四石山の周回を予定していたが、降水確率が余りのにも高く中止となった
天気図を眺めると、少し時間をずらすと雨には合わないだろうと、単独で昭和山、四石山を周ってみた
ホームページにはあまり出ない、岩出市の安上から郷の峠(霞峠)に出て、岩出市の境谷まで整備された車道を(農道)を歩き四石山、昭和山と周回した。昭和山には大阪と和歌山の県境に拘ったが、この県境のことを川上新道と書かれていた
境谷の知識人に聞けば、今となってはコースは分からないが、根来寺を攻めた織田信長軍が通った信長道と言う古道があったとか
以前、四石山から道の駅、桜の里に歩いたバリエーションがそのルートに思えてならない
一箇所を通ったわけではないだろうが、以前歩いた明智光秀の本能寺に向かったルートと道筋がよく似ていたからだ

又境谷から山崎小学校に通った道が今も残り、その時の様子を境谷の人から聞くことが出来た

雨が降っても、風が吹いても本当に山は楽しい
 
四石山                             昭和山
前回いのブッシュルートに懲りたショウタンは、前日の大雪が綺麗であろう事が想像でき、かつ再現性が高いであろうルートを歩こうと、前回と同じ岩出市安上のうぐいす台入り口に路駐して、下見しておいた安上と境谷を結ぶ古道を歩くことにした
 古道入り口
この古道は、農道として整備が進み梶路谷まで車が入る。
歩いてみて分かったが、小型車なら郷の峠に車を路駐することができる。上手く置けば2〜3台路駐できるだろう

古道入り口は路駐点の横の家の裏側に有り、下山した時この家の方に嫁に来た時の話などを聞いた
細い道だったが、モウこの家の裏にマッタケがツクシのように生えていたと言う話には驚いた

少し歩くと、目的の集落、境谷まで上水道を送るポンプ小屋があり、そこを過ぎると少しで未舗装になるが、状態はいい

 

わずかな住人が住む境谷に上水道を送る岩出市の行政の豊かさが伝わる
そんな小道の雪解け道を歩くが、状態のいい未舗装路は歩きよい
やがて、道が雪で埋まると、南国の雪は溶けやすいベチャ雪だ

地形から現在地を探りながら歩くと単独もそんなに寂しいものではない
予想より状態の良い古道は拍子抜けする

郷の峠に着いたが、ここに古い明治28年の石柱道標が残っていた
古道名は不動道でこの峠のことを、霞峠といったらしい
境谷で出会った境谷生まれの女性はこの峠のことを霞峠と言った
この女性は、村の歴史に詳しく、信長道のことや、小学校高学年で岩出市の山崎小学校に通ったルートや、ルートの途中に、やきもち峠、一本松峠が有ったことなどを話してくださった。この石柱にも松の字が読み取れ、一本松へのルートを書いているのだろうが、不動道のことは聞くことを忘れた。

  

石柱                          霞峠や松の字が読める       郷の峠(霞峠)路駐が可能だ
郷の池

郷の峠は変則な4差路で右上が不動道だろう。
郷の池は青く澄きれいな水をたたえる。その真上の道、右手下の道に入ると狼谷に入ってゆく、前出の女性は、学校帰りに遠回りしてこの狼谷から梶路谷を通って帰ったとか、高校生の頃一緒に通った同級生と再度通学路を歩いた時には、紀の川平野が望めたが、山が開発のため通行が難しくなっていてそこで引き返したとか、懐かしそうに話してくださった
右手上の道に入るが雪が15cm程度積もっている 
次の池の上が今日の下山予定地点だ。見れば踏み跡はないがそれらしいものが見て取れ、獅子檻罠が仕掛けられている
 
下山地点                           下山地点前の池

やがて田が出て道が分かれるが、好きな方を歩けばいい。上道は未舗装で本当の古道だと聞いた。もちろん上を歩き、谷や尾根から現在地を探った
ランドマークは高圧線で位置を確定できる。
 
上道を歩く                           ビオトープの??

ビオトープが有るのか、小さな泉を囲い腰掛けが置かれ??なんだろう

やがて通学路分岐に出会う
この分岐には、四阿がありハイキングか何かのルートだろう
古道は残るが、整備道を歩いた。やがて境谷の集落が見える
 
旧通学路の四阿設備                    境谷集落
古い村だ。村中には地蔵や旧道がそのまま残っている
小屋前で竹割り作業の男性に話しかけた。少し耳が聞こえにくく話しづらかったが、村の歴史に興味がありこの方にも沢山の情報を得た

梶路谷、やきもち峠、大利大明神、村の起こりの話はこうだ
この村の何処かに隠れ迫というところが有る。私は知らないが知っている村人もいる
ここに平家の落人が住み着き村を起こした。村は三村有り、上の垣内、中の垣内、藪の垣内が今の地点に集まり境谷となった
昔は平地は大切で、皆山肌に家を構えて平地に住んだのは現在だ。
軽四がやっと通れる道は狭いが、小川は綺麗で、大きな家が多い
長々と話してしまった。話好きなショウタンだ
 
地図から以前歩いた取り付きを思い出そうと村中を歩いた。
山側から前出の女性が歩いてきた。ショウタの感が働いた。ピッピ
おはようございます。ここから四石山に行くのにはこの道ですかと話しかけた
どこで話が弾んだか、日吉神社や今で言う山崎小学校の分校に案内して頂いた
分校のことを分教場と言い、今は集会所が建てられているが、記念碑が有る。木造学校を残していただきたかったという
 
この方は、私の親友、山仲間のが所属する野鳥の会のメンバーで、私もよく知る会員の方と親友という
世の中狭い、ますます話が弾む。又長話だ
  
通学時の話や、信長道のことをうかがった
分教場下の小橋を渡り真っ直ぐに路地に入れば正面に古い道標が出る
左に曲がり小屋について右に曲がるが、正面に状態のいい小道が見えそこに間違い入る方が多い
小川の左岸(右側上流から見て右岸左岸と言う)をの登るのがルートだ
少し状態の悪い古道だ。少し入ると道が分かれるが、下側を歩こう
峠に道標が出る。そこが槌の子峠だ
左手に登れば四石山、右手が昭和山だが、女性は昭和山と言う名は無いと言った。
川上新道同様誰かが名づけたものだろうか。三角点名は靭峰
  


 
ノーアイゼンは少し滑ったが、お喋りが過ぎ時間が無くなった。大急ぎで四石山に向かう
予想された風もなく、自分が木を持ち雪を落とす以外は歩きよい。
時々は薄日がさす。山頂で一人ラーメンを楽しむが、今日は韓国ラーメンで辛味が強い。コレが大好きなショウタンだ
霜で甘さが増した大根の葉っぱを入れた。ショウタンにしては手が込んでいる
  
そのまま引き返すもいいが、大阪と和歌山の府県境を下った。歩きよい尾根だが、最後の楠畑に下る道への出合いが激下りだ
登り返しも急傾斜で、こんな日のコース取りとしては失敗だろう
下りきり谷から斜面と登り、府県境に有る川上新道に出た
この登り返しも登り傾斜は急傾斜だ。槌の子峠からが歩きよいだろう
 下り尾根


 府県境横を登り返す
取り付き
川上新道に出れば、道の整備や道標テープと読図もなく先を急いだ
 

 
昭和山山頂に着いた
紀の川河口や和歌浦湾が夕日に明るく反射する。
写真を撮っていると急に風が吹き、霙が叩きつけ通り過ぎていった。
昭和山が私を歓迎したのだろうか。
 
引き返しP326から梶路谷への下山予定ルートを下る

先ず写真の道標地点に行き、軽く整備されたルートに入る
コレは読図以外に言いようがない
 
上の写真の地点小ピークから岩出方面に入る
 
後は踏み跡を探る
326 岩出←→ 昭和山道標を過ぎ下ってゆくと、少し踏み跡が見えにくいところが有った。雪のせいかもしれないが、この所はややこしいが、マークが有る。読図でゆくしか無いだろうが、この地点以外は道の状態が良い。
最後の農道出合いの杉植林に出る所も少し踏み跡が薄かった
マークも少なく地図をしっかり見よう
 
326ピーク↑
 ここは右、植林に向かう
この付近は分かりにくかった。上の写真二枚の所で踏跡が薄い 
植林内を通り、獅子檻罠が出ればその先が農道だ
来た道を安上に向かう。南国は雪解けが早い。少しぬかるんだ小道を車へと帰った
 
農道出合い                            霞峠
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 「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画
像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)及び数値地図10mメッシュ(火山標高)を使用した。
(承認番号 平24情使、 第898号)」