大台ケ原
トロッコ道と地池高と堂倉山
2016/07/18
3人

コースタイム
往路P08:40-白サコ10:15-尾根に出る12:00-昼食12:15
昼食後12:40-地池高13:07~12:27-堂倉山14:36-尾鷲辻15:24~15:40正木嶺16:20-展望台16:30-P17:07
総時間休憩含む
8時間27分ゆっくりタイム

ヤマレコ地形図にリンク
梅雨明け宣言は無いが、梅雨が明けたと見たショウタンは何時もの山姥の誘いに乗り、大台ケ原のトロッコ道を探索しながら地池高に向かった
フォックスファイヤーの虫除け生地で作ったシャツを購入して、虫対策はバッチリのショウタンだったが
大台ケ原のドライブウェイの途中の展望台から見えた最高の大峰山脈、梅雨が明けた事を証明するかのごとく最高の見晴らし
今日の山行は最高だろうと気分が高まる
海の日の今日駐車場には車は少ない
ハイカー達が多い中、登山装備を持つショウタンのスタイルは??と感じさす重装備、カラビナ、スリンゲ、ロープと水3.5L、ふー
大台ケ原ビジターセンター横から東大台登山道に入り、中道を尾鷲辻に向かう
復活しつつある大台ケ原の植生、笹は綺麗でコケやキノコが復活している
  
尾鷲辻東屋で休息していると、珍しくコブシ嶺に向かう男性二人、駈ける様に早い
ショウタンは、少し近道をと思いバリエーションでトロッコ道に下った。なるほど私の読みは当たり、男性達と比べ亀さん歩きの私でも、男性達の下に早く出た。
  
大台ケ原トロッコ道は三度目の探索、私は簡単にトロッコ道に下ったが、迷いが多い尾鷲道を外れるルート、簡単な気持ちで行かないでください。
2010/06/12 と 2010/09/21
トロッコ道に出ればその跡は濃いが安易な気持ちで入ると迷いが起こるだろう
位置特定が難しい大台ケ原トロッコ道、テープ等は無くまた景観の意味から余り好ましくないだろう
大台ケ原開発時代の遺物がトロッコ道周辺には多い
今回もあのワインと言えば赤玉ポートワインの空き瓶が落ちていた。
サントリーのワイン研究室に席を置いたことのある山姥は懐かしそうだ

前回の探索時に有った枕木の残り二本も無事だった
  
地図読みは山姥に任せ、購入したての虫除けシャツと虫除けハットの効果を試すショウタンだ

以前見た枕木を確認して歩くと、トラロープが張られた尾鷲道との出会いに出る
 
出会いの先が広いタオの白サコだ
ここに、加筆された右古道が出るが、これは少し??物で、現在国土地理院最新地図を読めば、古道は1414mを越えてゆく
私は、これがトロッコ道と見ているが、今は尾鷲道として地倉山やマブシ嶺(コブシ嶺)に向かう登山道として使われている
地図で古道を歩くと尾根越えだ。最近はマークが出来随分と歩きよくなっている
白サコから入ってみると良いだろう。
兎に角、右手のトロッコ道と思うショウタン的トロッコ道を歩く。
  
尾根と出会う広いタオに巨大な倒木がある所から、トロッコ道は尾根を巻くのだろうと、此処で探索を心見るが、これが間違いらしくその跡は無い。
  

前回の経験から1414mピーク方面に登り返し、小さな堀割からトロッコ道が有る事を知る私は再度トロッコ道へと入る
  
十年か前に自分がつけたマークは未だ残っていた。
やはり此処がトロッコ道だが、コブシ嶺に向かう道も略トロッコ道の跡が一部有るだろう
軌跡からお分かりだろうが、堀割とコブシ嶺への道の標高差が気に成る
今この記事を書くに当たって、ルートが分かれていたのだろうか、それともトロッコ道を外したのか??

探索軌跡を参考にしてください


堀割からはトロッコ道跡は濃いが、谷では完全に抜けその跡は薄い所が有る
谷越えは水平に移動すると線路跡が出る。少しコツがいるだろう
ただ、水線のある谷は石積みが残り、よくぞこんな所にトロッコがと思うだろう
  

  

  
一番尾根に近い所で尾根に乗り地池高に向かう
その先は見晴らしは良いが、倒木のつり尾根、周辺は崩落が進のでいた
  
広い倒木帯のつり尾根は小さく巻き、正木嶺の階段を見て、オウッ綺麗なんて思っていたが、まさか自分がそこを通るとは、思いもよらないショウタンだ
風通しの良いコルでお昼を楽しむ、谷に上がるガスはミストと成り涼しく、眠気を誘う

少しでも近道を歩くスケベなショウタンは尾根には出ない
モウいいだろうと尾根に乗る。
小さな岩横を巻いたり通ったり、マークは有るが古いものだ
  
急に開ければそこが三等三角点、三角点地池が乗る山頂だ。

此処から、与八郎高、加茂助谷の頭とシマヤンと歩いた記憶が懐かしい
もう一度体力が残るうちに行って見たいコースだ

少し点の記を書いてみよう
等級種別 三等三角点 基準点名 地池 北緯 34°10′09″.9887東経136°07′40″.9138 標高1398.75


明治36年の住所表記が面白い
県名は三重県だが、伊勢の国、紀伊の国とあり今の北牟婁郡は紀州藩に属していたのだろう
当時のプロ達も地池の難ルートに、道案内を同行するように書かれている
紀伊半島中央部の難ルートだったのだろう。
帰路は単純に県境沿いを尾鷲道に戻る
これもルンルンと歩けば、アルバイトの可能性がある。地図はシッカリ見よう
下りこみ倒木帯から堂倉山に登り返す。疲労が無ければ単純に登り返せばいいが、追い風で涼しさが消え、ふー 待ってー
  
古い私のマークや、シマヤンマークを山姥が拾い、再度設置する優しい山姥だが、足の速さにはビール腹のショウタンは付いてゆけない
  
堂倉山に登り返し、尾鷲道に下り、帰路は尾鷲道を素直に帰る
水分は十分に取っているが、頭痛や吐き気が出る。オカシイと体温を下げるために虫シャツを脱いでみた
と、涼しくなり アララ元気が
どうやら、速乾だが通気性に乏しいようだ。
ポロシャツタイプの虫除シャツが良かったのだと反省、クソー又買うぞ バーゲンが無いかな
尾鷲辻に出ると、朝みた健脚な二人が休憩していた
山姥は二言三言話をしていたがこの山姥は、ハイカーコースは嫌いだとは気が付いていない様子だ。
怖いのだぞと教えてやりたい フフフフ
 
やはり疲れを知らない山姥、水羊羹で体力を回復したようで、正木ヶ原経由で下山と余裕を見せる
ショウタンは良いよとOKサインを出したが、これが甘かった
正木ヶ原から下山ルートがあると思い込んでいた
  
ワーオ 正木嶺を越えなくては下山路が無い。
ブツブツと山姥を呪うショウタンだ。ふー 階段が長い
途中で鹿が笹を食べていたが、人を恐れず、小鹿などはむしろ近寄ってくる
食べ物を要求する子鹿だ。食害の多い最近の山、野生動物に人間の食べ物を与えることは動物にとっては不幸な結果を招く
どんなに可愛くても、餌を与える行為は行ってはならない
特に、熊やイノシシの大型獣が、人間のリュックに餌がある事を知れば、人を襲う事が無い熊もイノシシも、生きるがために人を襲い食料を得ようとする。又人自信を食料にしてしまう恐ろしい結果が待っている。
野生動物には鳥と言えども餌を与えては成らない

正木嶺に登る階段、足に優しい設計だが、ふー 山姥が私の倒れるのを待っている
あのお腹が美味しそうだとニコッと牙を剝いた。ふー 逃げローーー
 

 
尾鷲方面と正木ヶ原方面
日出ヶ岳の下展望台で尾鷲側を見晴らすが、雲が湧き海は見えないが、トンボが飛び風が涼しい

日出ヶ岳には登らず遊歩道を下った。
久々の正木嶺越えは美しいが、少し体力が不足だった
マタマタ、秋の紅葉を楽しむために新しいルートでこの付近を歩いていたい気がした
戻る