春山登山 槍ヶ岳3180m、日本で五番目に高い山 Ateamにて |
![]() コースタイム スタート06:40-明神07:35-徳沢園09:00-横尾10:50〜12:30-槍沢ロッジ13:30-ババ平14:20 |
槍ヶ岳3180m,富士山と同様に槍ヶ岳が他山から見えればアレが槍ヶ岳と特定できる そんな特徴的な槍ヶ岳、夏に一度登ったが今回は春山を楽しむ事が出来た 今回感じた事は、登る難しさよりも、春山は基礎体力がこれほど要るとは思わ無かった ババ平、槍沢キャンプ地から槍ヶ岳山荘までの槍沢歩きは体力の限界を感じた 特に天狗原分岐からそそり立つような雪の壁を一歩一歩登る。あそこまで、そこまでと言い聞かせながら登る 若者達はドンドンと登って行くが、焦るな焦るなと、一歩一歩登った |
先ず小屋にあった槍ヶ岳の興りから書いてみよう 槍の小屋の神棚横にその歴史が書かれていた 槍ヶ岳開山 播隆上人 念仏行者播隆上人は富山県の出身、各地の深山で修行し文永六年に久しく荒廃していた笠ヶ岳で登山道を再興した その頂上から眺めた空高く聳える鋭峯に見せられて開山を決意、文永十一年(1828年)七月二十日、第二回の槍ヶ岳登山で登頂に成功し頂上に三体の仏像を安置した 播隆は庶民がたやすく登れるように槍の岩壁に善の縄(太い藁縄を編んだもの)をかけたが、なお安全登山のために各地を回り浄財をを集めて六本の鉄鎖をかけた。 又播隆は槍ヶ岳初登頂後に穂高岳にも登っている 出家後は五穀を断って木食行をするなどその修行は大変はげしいものであったがその心底にはより高くより険しさを求めるアルピニズムの精神が有ったのである コノ播隆上人の精神は我が師とする、玉岡憲明氏のより困難を求め登るのが登山だ の言葉に一致する。何やら嬉しい山頂だった |
2011年6月2日朝、奥飛騨温泉郷平湯の仮眠から目覚めタクシーで上高地に入る 心配された天気も回復模様、タクシーの運転手さんも天気は大丈夫とおっしゃる 春に上高地に入るのはこれで3度目だが思ったより雪は少ない ![]() 河童橋から見る岳沢の景色はもう最高だ。先ず天気に感謝する |
明神岳下の明神館前は賑やかだ。 樹間から見る明神岳は雪をかぶりもう綺麗その物、美しい美しいと四人は感動する マダ見た事がない明神池、今日も見ないで一休み ![]() 梓川沿いの山々は綺麗の表現通りだ アレが前穂高、振り返れば焼岳、と山座同定も美しいの言葉がつく 前穂高岳 |
徳沢園はいつものように賑やかだ 一休みで横尾山荘に向かう 梓川沿いから見え出す山座同定に力が入る |
横尾からは雪が除雪されていない 1mばかりの固まった雪は歩きよいが、道から離れた場所は一人坪足でドボッ、アレー助けてーー |
槍沢ロッジが近づくと雪はm単位の大雪だ 水情報を仕入れるが、水場は雪でナシとの事、テン場の料金一人500円を払う 槍沢小屋も水が少ないらしい 登りになかったエンジンポンプが下山時に谷川の横にあった 谷川から水を汲み上げているのだろう 水は無料で頂ける なんやかんやで各自2L程度持ち疲れた足でテン場まで30分、これが大汗を流した ![]() ![]() テン場では雪は2〜3mか 先ず雪を均すが固まった雪は重い、疲れからかマア良いかでいい加減に均した これがいけなかった。寝れば背中にコブがあたり、寝れば滑る マットはレスキュウシートでと、これが失敗で、滑るは冷たいは、でも リュックからそーっと出してくださったビール 今日のメンバーはお酒は要らない、私のために オーホロッ 感謝だ danchoさん有り難う 外は粉雪が降り、風が強い 晴れるさと、美味しいすき焼きはもう食べきれない ![]() 注 コノ テン場 ババ平にはトイレがない 隠れる所もなく女性は困るだろうが、雪に1m以上の穴を掘り簡易トイレを作る 雪は固く崩れる心配はない 女性の居るテント横には大穴が掘られていた |
明日は晴れるさと予報を信じ眠りについた![]() |
槍沢を登編に続く |
山頂にて![]() |