紀泉高原 滝谷尾道標準備と八王子社跡道標設置準備と探索 2022/01/21 単独 |
2022/01/13日に滝谷尾と八王子社跡の倒木撤去と道整備を行った その時に相棒トミーさんの意見から、滝谷尾の登山口と八王子社跡の道標設置を新しく作る事に成った 先ず準備していた道標支柱を建てる 時間が余ったので、ずいぶん気に成っていた見返り山の、古道探索と八王子社は神仏融合の寺跡ではとの疑問から遺物を探してみた |
道標は案外に早く建てることができた 古い中屋哲司氏(故人)の残した鉄製の道標文字を書き直せば、先ず八王子コースを下りたり登る方が見のがさないだろう あと一回で完成だ 続いて尾根部分の鉄杭や崩れ部分に手を加え危険を取り除きたい気がしている 遺物探索だが 目につく部分のみだが、古道から崩れかかった階段下のに、巴瓦の欠片が出た 瓦片と丸瓦、軒瓦、平瓦等だが、建物全部ならもっと大量にあるはずだ 神社か寺跡の欠片だろうが里の丹生神社に合祀された時に、建物は移築されたのだろう その時、使用できない物を残していったのか、市や行政が調査してほしい所だ 日本遺産登録からこぼれそうな八王子社跡だ 瓦は道が通じていた和泉方面の和泉瓦ではないか 和歌山では和泉瓦の屋根が多い、遠くは淡路島から取り寄せる家も有ったが |
階段の上には二坪程の四角い建物跡、その横に礎石らしい四角い石が三個在り、その先に手洗い石が在る この建物が門か、又は寺跡ではないか この周りに瓦の欠片が多く落ちていた 手洗いは直ぐに見つかるだろうが、行者のヒデは倒木に隠れていた 大福山も良いが行者の行所ともっと訪ねてほしい所だ 瓦の欠片は八王子神社の灯篭に置いておいた ここに八王子神社が有ったのだろうが、建物は100年も経てば何も異物も残っていない 白い玉石は合祀された時に置かれたものだろう 建物屋根は檜皮葺か藁葺きで完全に朽ち灯篭以外は残らなかったのか その灯篭も一基のみ、片方は里に下ろされ民家の畑跡に今も立つ |
尾根を登り返し六十谷道に出て10ⅿ程度南に山肌に直登する道跡がある 直ぐに羊歯が出るが10メートルも無い、横を巻いて道を直登する もう何年も人など歩いたことが無い道だ 途中で道が抜け??、少し探せば小さな抜け跡の上に有った そこから山肌が平らになり道跡は無い ジックリと見れば木に鎌を入れた跡が出て、此処だと登るが確信は無い ピークは見返り山、 知り尽くした地形でコンパスはいらない |
登ってゆけばあきらかな道跡、一旦登山道に出て現在地を確かめ再び道跡に入る 見通せる道だ いかに古人と言えども、ピークを超える無駄歩きはしないだろう ピークは見返り山で20ⅿ~30m上だ 見返り山の葛城修験の名は金剛童子山で、金剛童子が祭られていたのだろうが。山頂に有ったか道沿いに有ったかそれは不明だ 私は道沿いに小岩が在りそこが金剛童子ではと思っているが、小さな石に金剛童子と書かれたものかもしれない 又、山頂で奈良時代か平安期の素焼きの壺口の欠片を見つけ、和歌山風土記の丘博物館に持ち込み見ていただいた それは平安期の物でしょう。時代的には経筒が出ればそこは経塚だとの見解を頂いた それ以来、経筒を探している 経筒は銅制の者か、焼き物かは不明だが、壺の中央にいれ周りを炭で固め蓋をして埋めたとか 銅制なら出れば持ち帰り利用された可能性は有るが、陶器なら欠片は残ると信じている その後壺の欠片は出たが筒は出ない また山肌の笹を刈り取り見てみたい気持ちが有る 風が強く、雪がチラつくが山は楽しい ユックリと行動食を食べた |
下山は六十谷道から東ニュータウンだが、登山口手前の私にとっては必要だった木が切られていた。( ;∀;) 楢枯れの木を切り取り、倒れるのに邪魔な小木を切り取ったとか 人それぞれの奉仕だがうーん残念 |
見返り山付近の拡大図 |
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