高野山 外八葉蓮華山の周回(女人道)と山の特定 20022/09/13 ショウタン |
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国土地理院地形図にリンク |
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高野山の根本大塔を取り囲む外周の山を、八葉蓮華山と言う 宗教的意味は書けば長く、簡単に言えば、現在の女人道で要所に山名が有るがその山名は時代と共に又書かれた書物によって変わっている 私の書いた山名は、高野山大学が調べたもので資料は高野町役場観光課で頂いた物です 参考記事や資料は色々と有りますが、分かりよいと思う記事をリンクしておきます |
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一日で全女人道を廻る自信もないし、私の頂いた資料からピークを特定しながら半周を歩いた 九度山駅から電車で高野山駅に登った 普通電車は一両に8人しか乗らず三密も避けられ、体力切れの私には都合が良い 先日来歩いた小都知ノ峰 や高野町石道の尾根などを確かめながら乗ると楽しい 新しくなった極楽橋~高野山のケーブルカーは思ったより座席が狭く乗り心地は悪い 高野山駅では多くの駅員さんがバスにと案内してくれた バスは待ち時間も少なく発車して、一つ目のバス停の不動口女人堂で下車した 220円のバス代だ 下車は4人で観光客は少ない 準備をして弁天岳に向かう。 山頂まで1kmの案内が有る 傾斜は少ないが、浮き根と階段だが、良く踏まれた道は朝露か雨後かは分からないが良く滑った 山頂には嶽弁才天が祀られている 少し見晴らしが有った山だが、笹や雑木が育ったのか里は見えにくい 登山者は三等三角点、弁天岳にタッチで満足だ 少し点の記を載せておこう
選点 昭和25年3月20日 昭和25年3月22日 再観測 平成16年9月29日 新しい三角点だ 所在地 和歌山県伊都郡高野町大字高野山132番地 所有者 金剛峯寺 三角点点名は弁天岳(べんてんだけ)のルビが有る |
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大門に向かって下る 途中に大門口の女人堂跡があるし、私のもらった資料には大門山が有る 道横から見上げる大門山 大門口は道標や案内が有るが、大門山は推測だが地形図にピークが出る所だろう スズタケが密集して登る気がしなかった 大門口の女人堂跡やコースは車道が出来、尾根が削られそのコースは分からない 道は年と共に新しくなり変更を繰返したと有った 町石道からは24丁石から分かれたそうな 大門に下り、今来峰に向かう 今来峰には、お助け地蔵に入り地蔵手前をそのまま登り削平地の正面が今来峰だろう 削平地正面の尾根にも道が有り、道をたどれば女人道に下る 下った地点は⑨ポイント横だった |
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コース案内はバッチリだ 車道に出て右手に登ればまた尾根に入る 薬師院山を特定してみれば和歌山放送高野山電波塔の山がそうだろう 谷に下ってゆく、私の苦手な階段だが、その左手が中門院山と思われる 再度車道に出て案内に従えば木橋を渡って尾根に乗る 途中に石柱の道標が出る。左くまのと書かれていたようだ とにかく階段が多い 土の階段も良く踏まれ傷んでいるが、土質は赤く滑りが有った 次に出るのが相ノ浦口女人堂跡で地蔵が有るが、道の方向表示はおかしい 少し場所を動かされたものだろうか 急坂を登り切れば鉄塔撤去跡がある小ピークに出ます ここが宝珠峰と考えられます。木に小さな山名が書かれています その先のテレビ塔のピークも見晴らしは良く、宝珠峰と考えられるが余りにも小さい |
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林道風道に出会えばそこがろくろ峠です 大滝口女人堂跡です ここで、大峰古道の小辺路道に出会います ろくろ峠の語源は木地師が住んでいて轆轤を回していたとか、 ここで山内が見晴らせ女性たちが首を長くして山内を見たとかの言い伝えからついたものとか 大滝に向かう 真別所分岐の道標が出ます ここで行動食と休憩を取った 小径に入り円通寺に下ります 小径は古道の雰囲気が良い 円通寺は修行僧の寺で参詣は出来ない 道を下れば大峰口への案内が出る 水が流れる階段の小道を登る また階段とブツブツと言いたいショウタンだが、登り切れば祠に石仏が祀られている 地蔵様ではない 少し下れば弥勒峠の案内が出る この石仏が弥勒菩薩だろうか 近道で奥の院一の橋に出れそうだが道標に従い中の橋駐車場に行く 少し登れば銅製の仏が出てヒデが置かれていた 待てよ?まさかここが弥勒峠ではと思うがさて分からない ここから大峰口まで道は良いが長く感じた 急ぐでもなく尾根を確かめながら下る 川沿いに出れば谷入り口に、東口、大和口、又は大峰口との看板が出る 吉野から高野山へ初めて弘法大師が入った道との案内だ 今は、弘法トレイルの名でそのコースが復活している 私も歩いてみたが、小さなアップダウンは厳しいものだった 駐車場裏に新しく大峰口の看板が出る |
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休憩場所がない 中の橋駐車場から奥の院参道に入り、墓地内の参道に出る 古い城主の墓で、テレビや本で名を知る武将の墓もある 地元民としては、ヤハリ紀州藩の物だが案外小さく現在の墓並みだが、鹿児島の薩摩藩主の墓はメチャ大きいが 薩摩藩主が残した供養塔に、武道をかじった私にとって感動の慰霊塔が有った 日本武道は勝ってもガッツポーズはしない 最後まで残心を残し勝ちを確かめるが、敵に勝つ事は相手が死する事を意味する その相手に敬意を表しガッツポーズはしない 時代と共にスポーツ化が進んでいるが、相手に対しての敬意を表すのが武道だ 今。新しいスポーツに置いて勝者と敗者が抱き合い相手の優勝を喜び合うスポーツが出てきた これぞ日本武道の根幹だろう 一の橋迄ユックリと歴史の名の有る墓を見る 私の勤務した会社の創業者も有った 北朝の石柱も有った 町石もある 見ればきりがない |
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一の橋の休憩所でバナナをかじり行動食を取ってパワーを出す 高野山内を歩くのは何十年ぶりか、素通りが多い街中だが歩けば宗教都市の姿が見える 徳川霊台に行ったことは無い 下調べも無いが、行ってみようと道標に従い行った 堅牢な石積みの上に三代将軍家光が10年かけて作ったいう 右に徳川家康の霊屋、左に二代将軍秀忠の霊屋が並び、東照宮形式のそれは豪華なものだ 建物の壁のレリーフも見事で、家康は寅をモチーフに、秀忠は兎をモチーフにしている それぞれの干支に合わせたものと言う あと一登りで女人道だ 女人道から、高野山駅には歩けない 極楽橋駅まで歩こうかと思っているとバスが来た 行き過ごしかけるバスに手を振れば、バスはバス停で待ってくれた 次回は中の橋から女人道まで歩き、極楽橋まで歩いて頑張ろうかな 高野山も歩けば歴史や山々は本当に楽しい 極楽橋に観光電車天空が待っていたが、途中の九度山迄座敷指定はもったいないとケチり、自由席で下った |
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