大和青垣の峰々 巻向山ページ |
三輪山と穴師山の間、車谷の奥にそびえる山がそれだ。 標高は両者より高いが奥深くに存在するため、ふもとからは目につきにくい。 国鉄桜井線の車中からでも、わずかに三輪と巻向山の間で全容が見えるに過ぎない。 西に離れるにしたがって見える範囲は広くなり、国道24号線からは天理から八木までの間、ずっと姿を見せてくれる。 車谷をさかのぼり、奇峰「白山」のふもとの奥の不動から巻向山への登路がある。 北方への谷をつめると、巻向山本峰と南東峰との間にでる。 北西方向にあるのが本峰で木の間から大和高原が望まれる。 この南東にある峰は567メートル、本峰より高く国土地理院の三角点標石が有る 穴師兵主神社の宮司、中氏によれば、この峰がいわゆる弓月ヶ岳で、穴師「上の社」は元ここに有ったと言う 大和高原を一望 南東に連なる弓月が岳 万葉集に 子等が手を巻向山に春されば、木の葉凌ぎて霞たなびく あし引きの山河の瀬のなるなべに、弓月が岳に雲立ちわたる 中氏の説の通り、いにしえの弓月ヶ岳は巻向山中の一峯を指すのであろうか 大和志料にも「巻向山・・・三輪山ノ北ニ有リ、峰ヲ弓月ケ岳ト称シ初瀬山に連ナル」とあり、 大和名所図会も同じ説を載せている しかるに大和名所図会は又別の説をもかかげている。 「釜ノ口東峰は弓月ガ岳、頂上に十市兵部少輔遠忠の城跡有り・・・」と 釜ノ口は長岳寺の山号で、十市城跡は竜王山のことである。 このように古い時代の地名が、長い年月の間に周辺のあちこちに使われた例は案外多いのではないだろうか。 また、 大和志料は、巻向山中の元桧原、というところに、巻向座若御魂神社がまつられていたことを伝えている。 この社も現在は穴師兵主社」に合祀されているが、中氏の説によれば、元桧原は巻向山頂きの北側みやこ谷と称する所だろうと言う |
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