紀泉高原 見返り山(金剛童子) 2023/05/05 見返り山は通称ですが、この山は修験道的には金剛童子山となっています 少し以前までは笹が生え茂り素通りの山でしたが、古い地形図が見つかって 金剛童子山を東西に通る古道が載っていた事から道を探せば、常態良く残っていて整備した 明治43年測量の古地図に現在軌跡を入れたものです GPSの無い時代の測量ですから正確度は落ちますが、略地図は正確です 測量は、日本陸軍が測量したものです。 見返り山からは素焼きの壺の欠片が出土してそれを紀伊風土記の丘博物館に私が届けました 壺口の形状から、7世紀ごろの物と言う事を聞きました。 ここが経塚である事の証に成る経筒が出土しません。 経筒とは、お経を入れた竹状の筒で中に経典を入れて壺に収め周りを炭で固めてうめると聞きました 陶器、又は銅筒であると言う。陶器なら欠片は残っているでしょうが、銅筒なら出土すれば持ち帰られたかも知れません この地点は360度の見晴らしが有り、修験道が見え大峰の経験から靡き的要素の山で有ったことは明らかです ゆえに金剛童子を祀り修験の場としていたと想像する私です 科学的根拠は壺の欠片からです 金剛童子は石に金剛童子と彫り込まれています。 大峰では何カ所かで新しく見つかりました 紀泉高原界隈で、紀伊駅裏の墓地横に大屋都姫祠跡に今残っているのが唯一と思われます 山周辺の何処かにあると信じて探していますが見つかりません この山の道標や山名板が取り払われ続けています 山名板は事故には繋がりませんが、私設道標と言えども道標です コース間違いが起こる可能性があるます。 日本遺産になった道です。行政の道標設置が望まれる場所です |
所用で遅くなりましたが、とにかく山名を表す板と仮道標を設置しました 又、明治43年測図の地形図を机に貼り付けています 何方でも見えやすく、正置の形で置いています 取り払われたころの枯れ木 タツナミソウ |
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