紀泉高原
大関橋駐車場から見返り山
2023/06/01
単独


五月の梅雨入りと台風2号が雨を予報する
天気予報は現場で雨を予測できる時代に成り、
予想を信じれば略思い通りの山行が出来るようになった
携帯電波が安定して受信でき、歩行時間も知る紀泉高原に
チョコっと登山するつもりで周回コースを組んで歩いた

大関橋駐車場の工事も終わり軽く整備されて、駐車台数も少し増えたようでした
付近に15台は安心して止められるようだが、台数は数えたわけではない

私はバイクで大関橋に向かったが、JR六十谷駅から徒歩ならゆっくり歩ても30分もかからないだろう 
大関橋Pから市道の舗装路を北に歩き、小川地蔵尊分岐で割谷林道と墓の谷、井関峠方面に分岐する 

和歌山市の奥座敷でその昔は街道として賑わったが、今は登山者と墓の谷行者堂参詣者が多く通る道です
畑地区の住民も年々少なくなり、今は数件が住まいする
ヤット上水道が六月一日に完成した程の和歌山市の奥地だ

途中に花好きなら野草も有りのぞかな村は市民の健康歩き道だ
  

ソクシンランやマスクサ、などが見受けられたが花に詳しい方なら、モットモット有るだろう
私は食い気の枇杷が大福山分岐の小川地蔵横にたわわに実り口に含む
野生は殆どは種だが、香と味はこれぞ枇杷の味だ

 

小さな道標が有り割谷林道に入ってゆく
100m程度で滝谷尾登山口が有り、谷に入れば滝谷登山口だが、長らく整備が無いから好きもの道として残っている
おそらく夏は不向きだが、尾根は時々整備が有るか登るに楽しい滝谷尾だ

林道を歩けば割谷弁才天の分岐が有り、そのまま進めば雑木橋が出て、二つ目の橋が八王子社跡登山口に出る
ここで登れば、大福山道に出るが西谷の池に向かえば、バリバリのバリエーションに成ってしまった古道が続く
行く気ならまだまだ通れるがテープ類は少ない
   

滝谷尾登山口直ぐにおねしょ封じの滝谷地蔵が有り、私は通れば失禁が無いようにと手を合わす (^^;)

八王子社跡登山口


八王子社に向かって登る
険路に入るかもしれない少し痛みが有る所も有るが、ブッシュは無い
道成に登れば、道標が出て少し右手に入れば30m程奥に古い灯篭と、八王子社跡の石柱が出る
直川に有る旧村社に合祀されたと言うが、広い台地に手洗石が残る
雨乞の神が祀られていたのだろう
  

道標に沿って小道を登るも良いが、直ぐ右手の尾根を登るほうが安全度は高い
テープも多くあったが外されて道跡も薄く通行者が減っているが、尾根の方が整備されていた事もある
小さな休憩所で道と合流しての登れば、登山道の六十谷道につき上がる。
そこに道標が有る

  

チョット前まで六十谷駅から大福山に向かうのは小川地蔵から割谷の林道を通り、八王子社跡の尾根を登り六十谷道に出るのが主流だった
修験道が盛んだっ頃は、梅畑と言う所から尾根を直登したり、西谷の池に向う途中から谷を登ったりと複数の道が有ったと言う
今も其の一部が地形図に残っている

六十谷道に出た
そこに紀泉高原西部を主に、草刈りや道普請、台風後の倒木撤去や補助ロープの張替え等のボランティア活動のswampさんがいた
今日も、雨が降るかも知れない中、伸びかけた笹を刈り取ってくれていた
想像すれば背中の背負子にバッテリーや交換用の刈り取り機の刃先、水など入れれば10㎏は有ろうか
少し立ち話でお礼を言って奥辺峠に向かう

奥辺峠は、淡輪方面と大福山、縦走路で札立山、大福山千手寺を奥の院としていた大同寺に向かう道の分岐だ
ここに休憩所を整備したのは懐かしいい思い出だが、その時の相棒はモウ83歳になっている
今も大福山のササユリを愛し時々通っていると言う
ここから見返り山に向かうが、尾根への取りつきは階段だフー
  

紀泉高原は葛城の峰では花類は少ない
今日はツルアリドウシが遠慮気味に咲いていた
跡はネジキに白い花をユラユラと揺らしながら満開だ


見返り山に登る

見返り山は金剛童子山とも言われ、金剛童子が祀られていたのだろう
1300年ほど前の土器がこの山から出土した
これを紀伊風土記の丘の博物館に届けた
経筒が出れば経塚だろうと当時の学芸員さんはおっしゃったが、未だその欠片は無い
道も山頂を通らずに東側と西側を巻く古道が有り山頂を通らなかったが、今は山頂を超す
古い明治の地形図にはそれが載っている

 

行動食を入れ小休憩で下山した
予報は5時まで晴れだったが急変したのか天気アプリは2時頃から雨と出た

六十谷六十谷方面に下る
道標は何度設置しても外される
六十谷道道まではルンルン

六十谷道に出るまでの道は古道だがコースは少し違うが、現在測量は今の道を測量した様だ

六十谷道には幾つか分岐が有る
滝谷尾に降ったり、岩神山に向かう分岐とか、私は観音山から観音尾根を下って大関橋に出た

 

滝谷尾分岐と岩神山分岐

 
観音尾分岐

観音尾は直川観音から大福山千寿寺への道が有った
団地造成で時に道は消えたが、今も一部が残り、団地が造成される迄の道標が今も朽ちながらえている 

  
古い道標が有るアンテナ尾分岐

観音山登山口に出てそのまま林道を下るも良し、目立つマークから尾根を通すも良い

ここからは新しい登山道だ
林道は、畑地区に向かう道の大関橋南側が斜面崩落で奥の畑地区に行けなかった
道が修復される迄の緊急車両用道として作られたものだ
本来は、団地内から直川観音に下ったものだ
今はその道の一部が有るが私も記憶から消えている

市道に下る



チョコっと見返り山に汗を流した

紀泉高原は多くのボランティアさんが山抜けや崩落地の整備、ロープ補助とかを奉仕する
1300年以上の古道は、今も通れるのは人々が道を守り修験者を助ける村人が有ったからだろう
文献は近代の物で、口伝で伝えられた道は名前も山名も場所も定かでない所も有ろうが、
私はこの山で生計を立てていた方から聞き及んだ事を期すことが多い

尊敬する亡西川翁
当時88歳頃
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