奥高野
古宮岳から護摩の壇
2023/06/29二人


ヤマレコ地形図にリンク

ヤマレコの埋め込み


奥高野の山に護摩の壇と呼ばれる山が有る
その昔、今は廃村の仏村、平村、黒河村、南宿や宿り集落の方がたが高野山大きな祭りのお参り等の時
コノ、護摩の壇で焚火を焚き待ち合わせて高野参詣をしたところから付いた名だとか
今は見晴も無い小さなピークだが、各村から登るには都合がいい場所だ
山頂に三等三角点 長尾が有る

北緯 34°14′49″.3798
東経 135°37′52″.4112
標高(m) 894.32
 
今回は前日の夕方に何処かに行こうと話が決まり、ふと思いついたのが護摩の壇だった
梅雨の最中の蒸し暑さと天気が気に成る所だが、予報を信じて高野山、中の橋Pから摩尼峠に向かう

スタートは九時前と遅い
玉川沿いが一番涼しいだろうと玉川沿いに最短で出た

見たことも有るのだろうが、何とユニークな地蔵様が7体並んで立っていた
  

写真の分岐から右手に入る
ヤマレコなど見ればこのルートで魔尼山に向かう方は少ない
少し地形図を眺めないと道を外してしまいそうだ
  

広い道から少し細い道に入り、多くの方の足跡がヤマレコ残るコースに出る
私の選んだコースの方が近道なのに??、どうやら観光地図は私のコースではない
先日の大雨で50mばかし道が荒れていたが通るに問題はなかった

道成に登れば摩尼峠に出る

摩尼峠上から道を登るのも楽しくないと、道右手の尾根を登ってみた
測量跡も有り道も感じる所から本来の古道と思った
  

魔尼山山頂には如意輪観世音菩薩の祠が有る
標高は1004mです
ここまで、暑いだろうと覚悟の登山だったが、なんと北風が吹き爽やかで涼しい
してやったりとつい笑顔だ
  

水分補給を忘れるほどに涼しい
楊柳山に向かって下り、写真分岐から尾根に入る
何度か通った尾根だ。
記憶では笹が生えこんでいたが、なんと踏み跡も濃く快適な尾根道に成っていた
地図を見ないで歩いていれば、ピークを早とちりしたしてアララと地図を見る
 


注、尾根に入る5m程先の地点に二つに折れた石柱が置かれている

目印は桧に巻かれた小さな木札だ
特徴のない見晴らしの無い古宮岳は通り過ぎそうだ
下りこんで登り返せば四等三角点東山が道から10mばかし奥にある
北緯 34°14′13″.3873
東経 135°37′13″.2902
標高(m) 960.12

東山で少しの立休憩だ
方向を間違いやすい東山だ
地形図にコンパスを取り方向と下り尾根を確認して護摩の壇に向かう

東山から護摩の壇に向かう古道に下る尾根はやや急傾斜だ
下りこんだ所に古い朽ちた道標と小さな古宮岳と書かれた道標が有る

 

往路では間違いも少ないだろうが、復路ではこの看板から黒河峠に向かうトラバース道に入るには慎重にしないと少し杣道が多い

ここからは道成に行けば良い
見のがすかもしれないが、倉の尾峠は旧黒河村と杖ケ薮を結ぶ峠のようだ
今も道が残るが、杖ケ薮方向には地形図は道が切れている

  

道成に歩く
九度山町が開いたころの階段などが残る

途中で橋本市 木下と書かれたコンクリート柱が出る
見晴も一か所あるが見晴らしは薄かった

  

広い植林の垰が出る
この付近に蛇の窪と言う地名が有ったようだが、場所の確定は出来ていない
宿り方面に歩けば朽ちた看板にその字が読み取れるが、今日は下の写真の、橋本市、木下コンクリート柱から斜面の尾根に乗る

 

よく見れば薄い踏み跡と整備跡が山肌に残る
同行のsunaoさんは的確に踏み跡を追って登る
尾根を登り切れば護摩の壇だ

  

護摩の壇迄立休憩で、初めての休憩だ
風も爽やかで、何故か虫にも悩ませられずルンルン 

ユックリと休憩と食事
ワタシはキンパとスナックパンをホウバル
涼しいとは言っても汗は出る
ミルクテーのペットボトルを一気飲みする
これがパワーの源だが、飲み方は推奨できない
今日も水分は3L持ってきた 
復路は一気に東山下の出合まで下る
地形図に載らない杣道だろう道がややこしい
朽ちた道標から右手上の斜面道に入ってゆく
  

私的には危険とは感じないが、よく来た頃は普通に道が有って、九度山の方が笹刈りをしていたのに出会ったことも有る
今は場所によっては30cm程度の踏み跡道状態の所もある
少し登山者が増えれば道が復活するだろうが、護摩の壇はマイナーな山だ

  

木に北又市平、桜峠等の道標が出る所は、旧黒河道出合だ
ここまでくれば黒河辻は直ぐです
今の世界遺産道は子継峠に出る道だが、石柱が示す左 くろこ、右摩尼の案内から、黒河村にはこの道が主だったようだ
 

楊柳山子継ぎ峠と廻るのも良いが、黒河峠の地蔵前から旧トロッコ道へと下るのが、中の橋には一番近い
道は少しワイルドだが歩くに楽しい
春にはクリンソウが咲き乱れる谷だ
  

古い高野山参詣道でもあったのだろう双体地蔵が道横に有る
長年整備も無いのだろう、橋は朽ち道は流され、なかなかワイルドだ

  

昭和の高野山木を切り出したトロッコの線路はまだ残る
流石に、御廟に近づけば巨木に杉は残されたのだろう
その木の大きさは1250年の高野山の記録だ
 

指定女人道分岐には、道が通れるとラミネート表記が有った
  

三本杉に出て御廟前から墓地内を歩き、中の橋に出た

石畳の道歩きは今日の最高の暑さだった
 
 

インバウンドの観光客が目立ちだした
高野山も真言宗の聖地から観光の町にと変わりつつあるのだろうか
 
護摩の壇過去記事

杖ケ薮から魔尼山、護摩の壇 姑射山

奥高野、豆街道と護摩の壇、六尺道

藪ヶ杖から護摩の壇、魔尼山、姑射山

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