葛城経塚5番 旧土仏峠から上朽仏山、 稚児の墓、倉谷山と 陰地ヶ原 2024/11/07 単独 山麓の県立緑化センターに相談事が有り行った 時間は遅くなったが、行ける範囲で経塚5番を取り入れ周回してみた 5時閉門に間に合わないのを恐れ路駐とした |
林道を登り旧土仏峠への道に取りつくために、林道を登る ゲートには道が傷み諸車は乗り入れ禁止とあるが、歩行は行ける しかし傷みがひどく、油断すれば転びそうな荒れようで、補修が望まれるような傷み方だ 菊によく似た黄色の花は何かとグーグルに聞けば、ヤクシソウという花と出た コウヤボウキや薊の花が咲くが、細かい種別は分からない 野菊も綺麗に咲く シロバナヨメナのようだ 足元を注意しながら登る 根来元気の森の入り口は刈りはらわれ目立つ道標とともにでる 下山はここから入ろうと決めた |
旧道入り口は動物が通ったような跡がある 見のがせば旧道には後は登る所は無い 3ⅿも登ればイノシシ罠が出る。現役で仕掛けられている 旧道は其のうえで、木々は生えているが通るには問題はない 大きな倒木は無いが蔓の絡んだ木が道をふさぐが上手く乗り越えられる 一つどなたかが残したマークが出た 地形図の破線通りに行けば旧土仏峠を巻いてしまいそうだ 現場の道を拾った 幅は3ⅿ程度有り分かりよいが、極一部笹が生えこんでいたが、マダマダ隙間がある 手でかき分けながら進む 足元に見慣れないキノコが生えている 深く掘り込まれた旧土仏峠は分かりよい 新土仏峠からはこの掘り込まれた峠を超える 上朽仏山の尾根に登るには簡易ロープが補助されている チョット登りにくいが5ⅿ程度です 踏み跡テープで三角点土仏の乗る上朽仏山に出る 上朽仏山を千草岳と行者、鉄山氏はその名を残していた 大峰では千草岳の存在場所は不明ですが、記録にある下れば洞穴が有りその前は棚が有る 降ると戻れない場所と書かれているそうだ 前鬼口の尾根でその場所を見つけたが、エイトカンを置き忘れてきた記憶はあるが場所はあいまいな記憶の場所だ |
上朽仏山からはテープマークは多いが、道と言う確定は無い 測量杭が有れば道跡だろう テープとその先を見極めながら歩く 一か所のトラバース道はロープ補助が有るがロープの無いところは足幅しかなかった 下り込めば、行者、鉄山氏の案内道標が出る |
少し急な斜面を登り切れば経塚5番、稚児の墓が出る 私も10年ほど前まで稚児の墓の位置が倉谷山 と思い込んでいたが、古い昭文社地図で測量点485ⅿ地点と知った その倉谷山の山頂にこだわれば、485m地点は尾根で、山頂はその先少しに有る 山頂とは、尾根が三方以上にはせる分岐と言われる 四等点、陰地ヶ原にタッチして折り返す 点名の陰地ヶ原は調べれば所在地の小字です 上朽仏山の所在地も陰地ヶ原と書かれているから、相当広い山域が陰地ヶ原のようだ |
折り返し485ⅿ地点に向かう 折り返しで気が付くが鉄山氏のシデが有った 倉谷山の遥拝かもしれないと思った 測量マークやマークは有る 山頂手前に小さな倉谷山の山名板が出る 見逃し行き来して探した |
時間も迫り倉谷山から尾根下りが早いだろうと、周回の形で尾根下りにした 尾根先は急傾斜だが何とかなるだろうと下った 所が尾根芯を外してしまい斜面に成った これが急傾斜で、立てばするずると滑る 下に立ち木の有る所を狙って下ったが、緊張した下りになった 尾根先で二瀬川を渡り、林道に上がる 林道の出合には多くのシデがが有った 林道で馬別れに向かう 馬別れから、新土仏峠まではだらだらと登りいつも疲れる所だ 新土仏峠の看板は笹中に隠れてしまっていた 林道を下る 途中に見晴らし箇所があるが、コレも草や笹が伸び十分な見晴らしではなくなっていた 根来元気の森入り口から最短で管理棟を目指す |
元気の森方向には手入れが有るが、この前の大雨の影響かまだ未整備なのか、以前より傷んでいた ここもボランティアの皆様の手入れなのかわからない 少し揺れが有るような橋が出る 一枚の板が動き オッと踏み応えた 渡り切り、休息椅子で行動食をいれた まだ昼は食べていなかった 案内で管理棟に向かう これからかもしれないが、いつもより踏み跡が薄く感じた あと六分の標識に元気を出し管理棟を目指す 駐車場には車は無い ゲートを出るころに、出入口を5時に閉鎖すると言うアナウンスが流れた |
もう一二度この付近を歩いてみたい 知らないコースもあり中々楽しいコース取りができるが、ブッシュは覚悟がいるだろう 戻る |
和歌山の山にリンク |