紀泉高原
山中渓駅から紀伊駅縦走
2024/11/17
単独

 

1908年の地形図です
JR阪和線は和歌山には開通していません
和歌山街道が(熊野街道)載っています
尾根縦走にも点線で道が有り間道として往来が有ったんでしょう


 山中渓駅は無人駅です
小さな自動改札が有ります
トイレは改札の外に有り解放されています


  
駅前から南に歩道を歩き歩道が無くなる所に山中渓関所跡が有ります
その前の電柱に登山標識が有りますが、字が消えていました
山中川を渡り阪和線を超えてゆくと道標が出ます

  

コースは完全な道標が有り迷うことなどは無いかと思います
登山口ゲートの手前にキチジョウが咲いていました
キチジョウソウはが咲けば良いことがあると言う
登山口からいきなり階段や急傾斜、トラバースと傾斜が有る遊歩道が伸びます
第一展望台までは大汗を流しました
前を登る高齢者グループは途中で休憩していました
道標が出て第一パノラマに立ち寄り服装調整をしました

  

ボランティアさん達が草刈りに来ていました
他の団体さん達もおられ展望台は写せませんでした
大阪湾の見晴らしは美しい
関西空港が見える

引き返す方向に戻り四の谷山を目指す
  
道標が出る所が四の谷山の分岐ですが、四の谷山への案内は有りません
150m程度で三角点の有る山頂に出ます
見晴らしも無く山らしい所は有りません

三角点は、三等三角点で点名は滝畑です

基準点名 滝畑
北緯 34°18′55″.7477
東経 135°15′28″.9079
標高(m) 363.02

山頂付近はイノシシが大暴れで道を掘り返していた
 道標通りに歩けばいい
小さなアップダウンは有る
雨後の今日は露出した岩が案外滑る
用心用心

  
途中に紀の川市の竜門山が見晴らせるポイントが有る
今日は予報は悪く竜門山は霞み見えにくい

何故か足が重い
スタートはしいて遅い目とした
あまり余裕がない
休憩を少なくしてひたすら歩いた
紅葉が特別綺麗なコースではないが、秋を感じる紅葉が出る
  
普段は見晴らしは無いが、鉄塔管理の間伐が有った
ここからも竜門山は美しいが今日はだめだ
雲山峰も見えにくい

鳥取池分岐が出る
 
鳥取池分岐から雲山峰迄はあと一登りだ
少し長い登りが出てこの上が雲山峰山頂と思う間違いばかりするショウタンだ
今日もあと一登りと頑張れば、その先に小さな登りが待ち山頂に成る
 雲山峰、天ヶ下森

山頂で行動食並みの昼食で休憩とした
高齢者団体が来たので席を空けて地蔵山を目指す

  

地蔵山は図根点の有る446m位置を山頂とされているが、山頂は466ⅿ測量点の雲山峰側、150ⅿ程度の上だ
今のところ蒼いテープが目立つ10ⅿほど上だ
小さな尾根だが尾根が三方に分かれる
昭和40年代には休憩所が有り三叉路に成っていた



休憩所跡の灰皿、土管が残り、当時のゴミ箱がわずかに残っている
そのことを知る方たちは少なくなってゆく
地蔵山に登った

青少年の森は通過した、六角堂も通過した
雨がこぼれそうで防水ができるゴアのヤッケを羽織っている

  

六角堂も見晴らしは有るが、道から一枚写したのみだ

紀伊、六十谷分岐までは整備したのが逆効果で歩きにくい
階段が段差が大きくなっている

六十谷分岐には休憩椅子が有る

 
分岐からは日本遺産道は外れる
旧営林署が開いた林道に成るががピークを超えるまで道は広い

その先の分岐が本来の六十谷と紀伊の分岐だが誰も通らない
鉄塔管理道となって下る
最初はイノシシが道を荒らし、倒木も出るが通るに問題はない

 

紀伊コースは毎年草刈りをしていた
その時に挙げた札がまだ残る
その先に国鉄紀伊駅の道標が残っている

低山に生えにくいコシアブラの実生が出来ていた

写真を忘れたが、下の写真は鉄塔管理道分岐に有る
この写真から下、50ⅿが笹トンネルに成りやすい
登山者はそこそこあるものだらか道は残っている

(今日19日 笹狩りをしてきました。コースは幾分か通りよくなりました。イノシシの穴はそのままです)

  

三角点弘西はスルーした

勾配が急になってくる
二枚目の国鉄紀伊駅看板手前の分岐は間違いやすい

 急坂を下る
古い標識ロープが張られている
下ればモウソウダケの竹藪だがタケノコはイノシシの餌だ
タケノコを見たことがない
ゲートが出て車道に出る

  

紀伊駅まで車道だ
車は少ないが、阪和高速のトンネルをくぐる

駅近くまでくれば墓地が有り、大屋姫のお堂跡が石碑で残る

紀伊駅に着いた
小雨は有ったが濡れることもなくコースを歩けた

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オオヤツヒメ・ツマツヒメは、日本神話に登場する樹木の女神。『日本書紀』の一書では父神・素戔嗚尊、兄神・五十猛命と記されている。姉神のオオヤツヒメは大屋都比賣神、大屋津姫命、妹神のツマツヒメは抓津姫神、抓津姫命、都麻都比賣命、爪津姫神、枛津姫神、枛津姫命などと表記する。

五十猛命と共に素戔嗚尊の命により全国の山々に木種を撒き、紀伊国(現在の和歌山県)に戻って住んだとされる

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