孝子から甲山、西ノ庄駅 2025/09/28 四人 👆 地図右下の山行ページへをクリックでヤマレコ記事に飛びます |
孝子駅から日本遺産の道を通り、甲山、西ノ庄堡塁、葛城経塚2番、西ノ庄駅と歩いた スタートは上孝子の凸地に集合の予定だったが、一人が急遽電車利用に変更して、スタートが少し遅れた 待ち時間で孝子の高仙寺に登ってから孝子駅で合流した ![]() ![]() ![]() 高仙寺には参詣道から登った その途中に墓らしいものが見えたので行ってみれば、上孝子集落の戦没者のお墓だった こんな小さな村にこれだけの戦死者がいるとは、戦争とはしてはならないものなのだろうと思った 参道に向かい道標から高仙寺に向かう ![]() ![]() ![]() 見慣れない花や、秋の山野草が多く咲く参道だが、表参道とでもいうのか参道は少し荒れていた 上孝子からのルートに出会えば道は良い 仁王門が出て階段を上り詰めれば庫裏が出る 庫裏で役行者の母の墓の位置を間違うショウタンだ 其の上の階段を登れば本堂に出る 歴史の行仙寺ですが、檀家は非常に少ないと聞く それでも寺の清掃は素晴らしい ![]() ![]() ![]() 道標から役の行者の母の墓地に行き手を合わす 横には行者祠が有る 行者の母の墓跡は彼方此方に有るようで、紀泉山脈では和歌山市の墓の谷行者堂が人気だ |
孝子駅で合流して、甲山を目指す 道は道標が多く有り道は分かりよい ![]() ![]() ![]() 途中に大阪の石山本願寺での戦いに敗れ、和歌山に逃れた顕如が通った尾根が八王子峠で有ったと記憶するがさて (顕如は秋葉山に逃れるが、許され和歌山の鷺ノ森の鷺ノ森御坊に入る。今は鷺ノ森別院として寺が残る。和歌山の鉄砲集団、雑賀孫一の城跡です。 顕如が和歌山に逃れたのは、信長に対立する雑賀孫一を頼ったそうな。最後まで信長に対立した岩出市の根来寺も鉄砲集団だったそうな 根来の風吹峠はタタラのフイゴの名残の名とか) 根来衆と雑賀衆の両忍者とは 根来衆は寺院を拠点とする鉄砲集団 雑賀衆は地侍を中心とする地域武装集団 標識通りに歩けばよい 途中に展望台などが有ります 道は完全な整備ではないが、危険個所などは無い ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 途中の見晴らし |
道成に歩く 多奈川の東畑横手で集落に出る その先の尾根から甲山に尾根を伝う ![]() ![]() 取りつきと八王子社 尾根は整備され分かりよい テレビ塔が出れば甲山は近い ![]() ![]() ![]() ![]() |
甲山下の椅子でロング休憩で、久々に山でコーヒーを飲んだ 何方が準備してくれたか感謝です 引き返す格好で尾根を通り猿坂峠に向かう 道は良すぎるほど良い ![]() ![]() 猿坂峠の見晴らし台から 猿坂峠のフェンス裏から西ノ庄堡塁に向かう ![]() ![]() ![]() マーク踏み跡は完璧です 堡塁は大きい 玄関から入ればいいが入り方を忘れて適当に入った ![]() ![]() ![]() 弾薬庫にはコウモリが住み、井戸跡にはマムシが入っていた 和歌山市内の製鉄所(旧住友製鉄)を守るためだったのだろうと思っているがさて 玄関から出て経塚二番に向かう マークに従うと書いておきます ![]() ![]() ![]() |
経塚二番も二カ所有り殆どはこの経塚に行く ![]() ![]() 炭焼き小屋横の三差路に経塚の石柱が有る 炭焼き中の職人さんに断りを入れ、炭焼き小屋内から登らせてもらった ![]() ![]() 仲間と記念撮影で、後は車道で西ノ庄駅に向かった ![]() ![]() |
![]() 久々の南海加太線に乗った めでたい電車はピンクのお嬢様電車でした 綺麗な電車は観光の方が多くのられていた 紀の川駅で本線に乗り換え孝子に向かった |
戻る |