紀泉高原の谷

2025/05/11
単独

 

紀泉高原の直川道に簡単な椅子作りをしている
紀泉高原で最高齢と思われる女性グループの要請を受けたものだが
耕作は楽しい。倒木などできうる限りの自然材料を使っているが出来栄えには満足がいかない

2025/05/11日に最後の材料を持ち上げ後日山仲間の協力で何とか形ができた


今日の記事は2025/05/11日の下山に使った谷の話だ



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 何時ものように大関橋駐車場から鉄塔道、直川道と入ってゆく

  

駐車場から北に100ⅿのフェンスに道標が有り、千寿川(千手川)左岸をから鉄塔管理道に入ってゆく
鉄塔が出るまでに幾つかルートが有るが、好きな道標から道を選べば同じ所に出る

今日は傾斜のあるコースで登った
  
突き上げは鉄塔で尾根に入る
道成に歩き道標に従えば直川道に入ってゆく
直川道は一度は廃道に成っていたが、諸先輩方や山仲間が道を復元したコースだ
古道だろう
今は、直川村と紀伊村の境界石が残る
墓の谷行者堂や雲山峰雨の森に行くための古道だったと思っている
海老峠は峠ではない所を言うが、よく見れば道が分岐していた跡が出る

海老峠で一休みだ
   

境界石や新しい国有林の境界看板、等が出る
山姥が、ここだと残したテープ位置に材料を下した
引き返して緩やかな谷へと入ってゆく(地図参照) 
  

最初は倒木もなくルンルンと思ったが、やはり谷は倒木が出る
見た目よりは通りよいが、所々で高巻いた

  
写真では見えにくい
谷の両サイドを上手く下ればいい
通常のハイキング道からはこの谷は見えにくいが、植林がされている
 瀧や段差は少ない
少し両サイドに青木が生えこんでいたが、特別密集しているわけでもなく、上手く隙間を抜けた

 
 注意してみないと分かりにくいが、井関でも作られていたのだろうコンクリートの塊が倒れていた
セメントの使用量が少ない感じだ。
昭和初期の物だろうか

その先で本流に出る
 
 
本流の千手川には水が少なく上手く飛び石で渡れた

正面に軽四輪が参道から落ちたのだろう横たわっていた
  

墓の谷の道までは4m?だが手がかりはなく、笹や草、細い木と滑りをこられて登った
本流、右岸は畑跡だから、探せば登りよい所も有るだろうが、探さなかった

参詣道を下る
井関橋で一休みした
 後は、参詣道を下ればいい
墓の谷行者堂は、役の行者の母が祀られている
ごく最近までは、お母さまたちが子供の無事や就学の願い、病の回復等と賑わい出店など出た時代もあった
私は、おばあさんに連れられ参詣した
頑丈に育ったのは行者様のお陰かな ww
又、貧乏な財布からうどんなどを食べさせてもらった記憶が濃い
  
牛神様、小川地蔵尊、駐車場と下る

道沿いには山野草が咲く和歌山市の奥地の畑地区は住民が減る一方だ
静かな空気が綺麗な所だが、空き家が目立つ

  
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