二月二十四日
いよいよトレッキング開始、朝8時頃ガイドのマンシングさんがポーターのカリプーンさんとホテルの部屋に、
荷物をポーターさんのバッグと専用バッグに詰め替え、ホテルをタクシーで出発、
タクシーは日本の軽四サイズに五人、それに荷物、身動きも出来ない
登山口である、Phedi(ペディー)に向かう
途中のセキュリティーがきつく二度三度と検問、最後の検問が終わるとMaderi川に沿って行く、
風景は、一昔前の日本を思いだす。又ガスがかかって見えなかったが、この付近からはmachhapuchhreが見えるはずだ、
数少ない人類未踏峰6993mの山、現在も登山を禁止されている。
ペディに着いた。流暢な日本語のお姉さんが話しかけにくる、ツイ話に乗ってしまったショウタン、気づいたときは、遅かった。
物売り姉さんで、バックからネックレスの数々、あめ玉一つでお引き取り願うのに一苦労、それにしても日本のお姉さんという感じの方、ついついでした。
ガイドのマンシンさんとポーターのカリプーンさんと私
ペディーまでの町並み
バスターミナルで、牛は神様の乗り物、大切にされる
町中も闊歩している
ペディーに着いた。ペディーは国道の側、寂れた土産物店と茶店、
先ずは高山歩きの基本、水の補給の為と一息、ネパールティー、これから休憩のたびに、大きなステンレスカップに、ストレートティーや、ミルクティーを飲む、高山病予防のためには、水分は取れるだけ取る法がよい
トレッキング開始、登山口はいきなり階段、昼ご飯を食べたDhampus(ダンプス)までオール階段と思ってもよい
登山口
しばらく登り振り返るとペディーとyamdy kholaと国道が見える
いい加減疲れた頃、又茶店が、ここのマスコットの娘さんとその子供、人なつっこくて可愛い、一休み
しばらく休憩、日本の田の道のような細い道を登って行く、作業小屋は茅葺きで立てられていた。一昔前の我が古里のような感じがした
長い階段を登り切るとdhampus(ダンプス)に着いた。
ここからは、Machhapuchhre(マチャプチュレ)が目の前に見えるはずだがガスで見えない
昼食は、時間がかかる、日本のように注文して直ぐにとは行かない、
薪をたき、材料をそろえ調理にかかる、ガスは無いわけではないが貴重だ、大事に使われている
もちろん冷蔵庫が有るわけが無い、電力も貴重だ、ただ電灯をつけるための電力は有るようで、トレッキング中は一カ所を除いて、電気は確保されていた。
山にはいると小さな水力発電所を村事に作られていた。
ダンプス
ダンプスの人達
お昼を出してくれた子供達、この子供達はお手伝いではなく仕事らしい
このことについて後で書いてみます。
昼食に一時間半、宿泊予定地のLandrungに向かう。pothnaで再び茶
茶店のご婦人達は愉快で楽しく、美味しいお茶だった(ネパール紅茶) やはり時間はかかる
PothanaからBen khrkaまでの峠は2850m位い、峠には大きな大木の石楠花が綺麗に咲いていた。
大木も大木、幹周りは1〜2m高さ4〜50mか
峠では何かの祭りか、綺麗に着飾った人達とすれ違い、Benhichokで再び休息、
石楠花
Ben khrkaの村
Ben khrkaからBhichokまでの下りの長い階段は足に堪える。
階段と言っても馬や牛が通る、壊れかけた階段が多い、それに牛馬の糞まみれだ
Bhichokでマタマタお茶、休憩も兼ねてはいるが、先々の高山病予防のための水分補給です。
意味が分からないとナントお茶が沢山出されると思うだろう。
下の写真の子供は、ロッジの子供ではない、親が貧しく育てる事が出来ない、ロッジの女将さんが預かり育てている。
自分の子供としてでは無く慈悲の心で育てている。
女将さんは仏教徒です。よくよくマンシンさんに話を聞くと、この子は物心付く頃には、自分の環境を理解して、ロッジのお手伝いをして、自分を育ててもらう、女将さんも自分の子供としての心は無いとの事、仕事を与えているとの考えらしい
まだこの子供は、この女将さんに引き受けてもらったから良いが、、、
親も一生子供に会いに来ないらしい、この境遇の子供達と沢山出会う
ダンプスの二人の少女も同じです
それでもこの子達は幸せな方です。又ウラミラチャンという少女に出会うこの子も同じ境遇です
ミラウラチャンについては又書きたい
ここでLandrangに行くには、遅くなる事が分かり手前のThorka泊とした
吊り橋を渡り、小さな村を通り、Thorkaに着いた
途中の村々では子供達は可愛い
Landrangでは何かの祝い事が有ったらしくにぎやかだった
小さな出店では子供達の飾り物が売られていた。
Landrangの村
泊ったロッジ
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続く
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