釈迦ヶ岳下の大日岳
大日如来像修復完成
2018/07/22
新宮山彦ぐるーぷにて
台風で倒壊した釈迦ヶ岳下の大日岳にある大日如来像の最終設置にも参加できました
今回は釈迦ヶ岳太尾登山口ではなく、下北山村前鬼の前鬼登山口から奥駈道前鬼道をピストンでしました
私達の役目は、設置に使った道具類を持ち下ろすことです。
設置は、毎回に工事下さった方々が、設計にあわせ組み合わせてゆきました。
 
完成後の大日如来像と、平成の鬼、五鬼助氏ご夫婦と新宮山彦ぐるーぷ代表川島氏との記念撮影
正直、前鬼登山道は階段が多く、体重のあるショウタンには苦手なコースです。
いつもは三重の滝ルートの閼伽坂尾根から取り付きますが、勝手は許されません
リュックと背負子、水食料と万が一の安全装備を合わせて10kg程度ですが、連日の猛暑に大汗を流しながら登る。
決して登りよい道では無いが1300年の古道は今も利用されてはいるが、安全が優先される昨今、足に会わない階段部分も出来、膝の悪い方や
ショウタンのように体力の無い方は難行ルートです。

二つ岩、太古の辻と猛暑の中休憩を重ね登ります。
私は常に最後尾をユックリと無理なく付いてゆきますが、平均年齢の高い新宮山彦ぐるーぷですが、今日も83歳を最高に往年のクライマーや沢屋さんがそろっています。
最短コースで山頂に登るが、久々の私は其のコースをすっかり忘れている
ショウタン、そちらは遠回りと分岐で待っていて下さる
 
山頂は狭いが準備が整い足場も良い
先ず今後の事を考え枯れ木や倒木の撤去から始まり、仏像を新しい台座に戻す
驚くことに、小型チェンブロック二機、金属探知機、まで持ち上げている
 
先ず、仏像を二分割して上部を吊り上げ、下部を人力で台座に戻す
仮安置部分を金属探知機で、古銭の有無を探り、出た古銭を仏像下に戻し、整備記録と共に整備中に出た古銭をタイムカプセルとして体内に戻した

台座の安定を見て、上部を据え、朽ちたネジ類を新しく変え取り付ける
  
書けば簡単だが、手の位置やテンションの具合と細かい部品が多い仏像は扱いが難しい

 

最後に転落時に壊れた冠や腕、ひび割れ箇所からの雨水浸入を防ぐ処置をした

多くの登山者やグループの皆様に協力いただいた砂も少し余り、今後のためと山頂に残した
其の砂一粒が真心として何時までも輝くと信じる私だ
 
大日如来を持ち上げたのは、釈迦ヶ岳の釈迦像を単独持ち揚げをした、吉野竹林庵先達のオニ雅こと岡田雅之氏が単独で持ち上げた物だ
今は、前鬼までも車が入り、道も整備が有り歩き良いが、この頃のコースは下北山村から、牛抱え道と呼ばれる難路を山越えで通った
牛抱え道の一部は今も残り、新宮山彦ぐるーぷはこの道の探索も行った
今ページを読まれ古道に興味が有れば、前鬼や大峰に関わった歴史の人物がどれほど偉大だったか牛抱え道を歩いてみれば古人(いにしえびと)の偉大さが見えてくるだろう。

新宮山彦ぐるーぷの記事
私はほんの一握りの砂を持ち上げたのみだが、新宮山彦ぐるーぷの皆様や、登山中に砂運びをお手伝い下さった多くの皆様に感謝するかのように大日如来像は安置された。
今回は導師がいない中、全員で勤行をして大日如来様に手を合わせ、山の安全、里の安全、世の平和を願いながら、勤行の口パクパクを行った汗


大日岳から見た釈迦ヶ岳
下山も最後尾をユックリと下る。
 
前鬼では、小仲坊主、後鬼助氏から麦酒やジュースの接待を受け咽を潤した

前鬼前で帰路準備をしていると、古いブログ仲間が声をかけてくださり、お互いの健康に感謝していると
別の若いぐるーぷの一人が、脚を痛め遅れているという
帰路の同乗を請われOKを出すが、私達が車下山をしないと、ゲートを閉められない五鬼助氏、三時間をかけ帰宅しなければならないご夫婦
それでも、ゲートを閉める時間を待って下さった。

私も好きな大峰ブルーの前鬼川遡上だが、沢は準備と事故が怖いという認識を新たにする機会を得た
 
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