紀泉高原
雲山峰
2017/06/29

梅雨時期の楽しみと言えば、ササユリの開花とヤマモモの収穫、子供の頃と比べれば開花時期がややずれているように感じるが、田植えが終わり子供達が山に入れば、山百合(ササユリの事)が咲き、ヤマモモが実り、口を真っ赤に染めながらヤマモモを食べた。
田舎のガキ大将は、巨木の山桃の木に登り、枝ごと折り取ったが、木が折れやすく大きな枝ごと木から落ちたりとしたものだ
久々にヤマモモを求め裏やまに入った。
新しい靴の履き心地とをかねての裏山山行、傘を持っただけの気楽な子供の頃の登山スタイルだ。
空はどんよりと曇っているが、降らないだろうの気楽な気持ちだ。
紀泉高原は、ブッシュコースに入らない限り傘があれば十分な雨対策が取れる。
濡れても我が家は近い。
大関橋駐車場に向かった。
誰もいない事を想定した登山だったが、すき者はやはりいる。
一台の車が止まっていた。
駐車場から北に100mも歩けば、正面の梅畑の金網に写真の勝手道標がある。
右手の橋を渡り踏み跡なりに川沿いを登ってゆけば、道標と道跡は濃い
  
コース案内のひろばとは青少年の森広場の事です。
このコースは、鉄塔管理道を通り、途中から直川道(のうがわみち)と呼ばれる古道に入る。
途中で道は、勝手道や管理道と分岐するが、どの道を選んでも条件は変わらない
 
鉄塔が出て、尾根道を選んで登る。
途中の道横にヤマモモはたわわに実るが、木が大きく収穫は難しい。
マッいいかと、新しい靴の履き心地を確かめるが、やはり足幅が合わず長距離には向かないと感じ出した。
モンベルのアルパインシリーズだ
私の足はYeti(abominable snowman)より四角く横幅が広い。
私がレギュラーサイズで履ける靴は、モンベルかSIRIOしかなく、滑りが一番少ないだろうモンベルも幅がやや狭くなり私を悩ます
幅だしをお願いするしか仕方が無い。
ビニール傘を杖に登ればエビ峠の休憩所が出るが、虫が多く休憩はやめた
  
休憩所からクネット曲がれば、このコースの見晴らしが出る
和歌山の町が美しい
黙々と登ると、古道の証の境界石が今も残り、紀伊村と直川村の小さな境界石だ。
主に墓の谷行者堂や雨乞い山の雲山峰に向かった道だろう。
35年ほど前までは一部は笹に覆われていたが、前田某さんにより切り開かれた。
その後私も頑張ったが、今は皆様が頑張られている
途中に森林管理所の案内道標が出るが、ここで注意が要るのは、娘地蔵の位置が大きく変わっていることだ
おらが山のグループが、娘地蔵を移動して、地蔵峠に持ち上げている
オマケに森林管理所の案内道標も向きを変えている。
地蔵は元々は道標を兼ねている物で、娘地蔵にも、直川村、中屋娘おてる供養のため、右、天ヶ森、左、墓の谷とある
  
森林管理所案内と地蔵峠鉄塔と移動された娘地蔵
道成りに登ってゆけばいい
読図で地理院地図から現在地を当ててゆく読図登山には面白い尾根だが、中々手ごわい尾根だ。
道標に従えば問題の無いハイキングコースだ。
現在2017年6月、京奈和道工事中で紀伊駅へのルートは閉鎖されているが7月までと有る。
登山口の変わり方が気に成る所だ。
 
紀伊駅への尾根コースは東尾根と呼ばれていたようだ。
私がこの地に引っ越してきたのが45年ほど前、そのときにこの道標は既に有った。
後一登りで六角堂に出る。
二代目六角堂は綺麗で休息によい
最近だが見晴らしも出来ている
ここで予定のヤマモモを収穫して休憩だ。
  
少し上に登れば青少年の森広場に出る。
国旗掲揚ポールや銅の山座同定板が有ったが、最近の整備で取り払われた。
代わりに多くの椅子が設置されている
  
ここで目標のササユリがと探すと私を待ったいたかのように、笹の中から微笑みかける。
何処にでもあったササユリだが、盗掘や乱獲、オマケに獣害とすっかり姿を消しつつある
見晴らしを楽しみ雲山峰に向かう。
と、八輪も花を持つ欲張りササユリが咲いていた。
  
道標に従えば、道も良くルンルンと向かう
雲山峰から先は、紀泉高原縦走路で秋や早春には人気の縦走路だ
  
今にも倒れそうなササユリが一輪、抱きかかえてあげたいような、山の精ささゆり、無骨者もこの花にはかなわない

雲山峰は三等三角点、天下森が鎮座する。
葛城修験道の宿跡祠も有るが、私には三角点が嬉しい
点石保護の保護石四個も健在で美しく残っている。

天下森(てんかもり)の点の記を書いてみよう

等級、三等三角点 点名、天下森 北緯34°18′06″.1095 東経135°14′06″.0662 標高489.90

選点明治36年4月26日
設置明治36年
観測昭和63年11月29日

所在地 和歌山市直川字雲山峰2809番地
少し休憩して引き返す。
途中で地蔵山ピークに登るが、見晴らしも無いピークだが、時には登山者が訪れるようだ
私が、20代の頃は営林署の手によって整備されていた名残が今も有る
  
踏み跡を南に、少しブッシュをこげば、ハイキング道に飛び出す
飛び出したところに、この山域では滅多に見られない梨の木が二本有り小さな実を実らすが、熟するまでには虫や鳥の餌になっているようだ
青少年の森広場、六角堂と引き返し、道標から役ノ行者堂に下る
この道は利用者が少なく成ったのか、傷みが目立った。
  
このころになって、新しい靴の違和感がピークに成り、Yetiの足を持つ私はつらい
行者堂に下れば、ボランティアで行者堂を整備していた大久保某氏が高齢でこれなくなってからは、傷みが目立っている
彼が植樹した紫陽花を見るのも今日のコースの楽しみだ
  

  
ご近所の庭先で紫陽花を見つけては一枝を頂、挿し木で増やした紫陽花だ
我が家のもカアチャンが娘から母の日プレゼントの紫陽花を枝分けした一厘が咲いていた。
墓の谷林道を奥畑、中畑と下ってゆく
私の小学生の頃は、母の願いをかなえて下さるお不動様と、出店もでる賑わいだったが、今は寂しい
母の縁が薄い私は祖母とお参りした物だ。
60年も前の話だが、そぼ降る雨が懐かしさを思い出させる。
大関橋、牛神祠と歩く
手を伸ばせば、枇杷がたわわに実り、栽培枇杷とは違いすっぱいが、自然の味が美味しい
  
小川地蔵、椎の木地蔵と二つの地蔵は登山者の往来を見守っている
久々の紀泉高原、時には紀泉アルプスと呼ばれる里山は、490m和歌山市最高山、雲山峰を中心に登れば楽しい低山縦走が楽しめる
    

メハジキの花
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