2006/11/21
ゴーキョピークトレッキング ポルツェテンガ
「ポルツェ テンガ」
11月21日 ポルツェテンガに

朝、部屋の温度は5.7度。寒いが外は晴天だ、空には雲一つ無い。朝食をすまし外に出ると、霜がおり氷が張っている。クーンビランとタメピークが太陽の光を受け輝いている。

クーンビラン
 
クリックすると元のサイズで表示します
 

ビスタリーと町中の道を抜け一角曲がると、エベレスト山群とアマダブラムが目に飛び込んでくる。人々の感動の声が聞こえる。
エベレストとローチェ、ヌプチェ
 
クリックすると元のサイズで表示します
 
ネパール兵が訓練マラソンをしていた。この高地で全力疾走するネパール兵の強靱さが分かるような気がする。

クリックすると元のサイズで表示します
 
又一角曲がると素晴らしい景色が。アマダブラムがタンボチェピークが素晴らしい。シャッター音まで感動しているようだ。

アマラブラム
 
クリックすると元のサイズで表示します
 
クリックすると元のサイズで表示します
 
タンボチェピーク
 
クリックすると元のサイズで表示します
 
上の写真の下の道がカラパタールに、上の道がゴーキョピークに行く道だ。キャンズマKyamngjumaで一休み。前回来たときと同じ茶店で茶をしたが、茶店は新しくロッジになり、ママも少し太ったようだ。

クリックすると元のサイズで表示します
 
1998年のママ
 
クリックすると元のサイズで表示します
 
キャンズマからすぐのサナサSanasaでカラパタールとゴーキョピークに道が分かれる。

クリックすると元のサイズで表示します
 
サナサから少し急登を登るとクムジュンからの道と出会う。下山時はクムジュンに向かう事になる。ここからはなだらかに見えるが、ヤヤ急な坂道をクネクネと小さな尾根を巻きながら登って行く。

クリックすると元のサイズで表示します
 
右手のタムセルクが美しい
 
クリックすると元のサイズで表示します
 
目は慣れてしまって恐くはないが、斜面を削り取った道は油断は出来ない。

クリックすると元のサイズで表示します
 
途中でモンラMong Laの少女と出会った。彼女たちは朝早くナムチェバザールで灯油と食料を仕入れに行っての帰りで、彼女たちの働くモンラのホテルで昼食にする。
彼女たちは、シェルパ族の多いこの地方では少数民族の、サンギタ ライ(ライ族)さんとパサン ドル タマン(タマン族)さん。ビスタリーの亀さんはマンシンに任せ、三人でモンラに向かう、彼女たちは20kg背負っているがショウタンはほんの数キロ、それでも彼女たちの方が早かった。モンラは風が強い。彼女たちの働くホテルでマンシンを待った。

クリックすると元のサイズで表示します
 
モンラの村は数軒のロッジ。彼女たちのロッジの高さは3975mとある。ここで気圧順応が望ましいが、一度4300mの経験がある亀さん、次のポルツェテンガに泊まる事とする

 
モンラのチョルテン
 
クリックすると元のサイズで表示します
 
モンラでノルウェイの元気な白人達がいた。本当に元気だが、彼たちも途中で高山病にかかり、引き返す事になるとはこの時の姿を見れば想像出来ない。休憩していると、一人の白人女性が背負われてナムチェバザールに向かった。顔が青ざめ、高山病だろう。このコースは本当にビスタリーと行動しなければいけない。
モンラからは本当に急な下りだ。崩れた階段が続く。285mを一気に下る。帰りの事を思うとオックウダ。途中で先ほどの彼女たちが、燃料の薪を背負って険しい崖を登ってきた。よく働く彼女たちだ。モンラの社長の子供はメッチャ可愛かった。

クリックすると元のサイズで表示します
 
ポルツェテンガPorutse Tengaはロッジが2軒の小さな村、泊まり客も少ない。私たちとドイツ人3人のみ。このドイツ人は、一組がナムチェバザールで結婚式を挙げたらしいが、新婚の奥さんが高山病で足止めしているらしい。亀さんも依然食欲がない。リンゴを1/4程度とスープなど少ししか食べられない。マンシンにバイオモックスをどうかと言うが、マンシンは大丈夫という。私がビールが飲みたいと言うと、これは駄目と笑いながら言った。今日は3680m早く眠りについた。

ポルチェテンガ

クリックすると元のサイズで表示します
 
くつろぐポーター達
 
クリックすると元のサイズで表示します
 

続く