2006/12/03 ポカラ ダシリンのチベット村 |
「ダシリンのチベット村」
12月3日 ダシリンチベット村
隣の部屋に若い日本の夫婦、10年ぶりにYADに来たらしい。連絡済みかママは楽しみにしていたようだ。私は洗濯・食事を済ませ、9時頃からダシリンのチベット難民村にチベット人やシェルパ族の既婚女性がするエプロンみたいな物を買いに行った。 土産物店に入るがミシン仕上げの土産用しかない。仕方がないからチベット食堂でコーラを飲んでいると、多くのチベット人が、お前は日本人か?と近づく。ワケは分らないが、豚の内臓料理をさばきながら料理を見せてくれる。話しにならない話しで盛り上がるが、一人のチベット人が日本語を話せた。エプロンの話しをすると本物を見せてくれた。その方の私物をお願いして売ってもらった。パシミヤの高級品で50年や100年はOKらしい。 村中を散策、チベットの土産物店は客引きがウルサイが、地元の方と話ししながらウロウロとしていると親しみを持って色々と見せてくれたり、写真を撮らして頂いた。 ウロウロと来た道を引き返し、タシリンの土産物店を過ぎ帰るが気が変り、バタレチャンゴの川沿いを歩けばダムサイトに出るはず。分譲地らしい道を入って行くが、すぐに道が無くなり、田の畦を歩いていったがとうとう行けない。対岸に渡ろうにも橋がない。バタレチャンゴで洗濯をする方に渡れる位置を聞くと、ここだと言って教えて頂いた バタレチャンゴは川が浸食されて見事な形をした峡谷。バタレチャンゴの滝は美しい。 対岸に渡ると、キサンと歩いたときのテンプルが見えたから、方向がつかめ田の畦を歩いて ダムサイトの吊橋下は、洗濯する人、体を洗う人賑やかなものだ。小さな地元食堂、一杯飲み屋さんなどがある。 ここが逆さマチャプチュレやアンナプルナが見える場所ですが、私はとうとう見なかった 地元では有名な日本食食堂”おにるもも”で丼とビールで昼食、 マンシンが15時頃ホテルYADに来た。今後の打ち合わせだ、帰りは23日、ソレまで奥さんやマンシンにお世話になったから、私のおごりで奥さんマンシンとニサン(次男)でゴルカとマナカマナ、そしてショウタンはマンシングガイドでジャナプールのロイヤルネパールレールウェイに乗りに行き、ジャナプールから世界的紅茶の産地イラムに行く事になった。 |
続く |