2006/12/7 ネパール ポカラの観光 ウレリ村からバタレチャンゴ |
「ウレリからバタレチャンゴ」
12月7日 ウレリ村からバタレチャンゴトレッキング
今日は、ウレリ村からチソパニ村(冷たい水の意味)ボンビ、オカレララ村(お茶の意味)カラバン村、プンディ村、プンリコット、日本山、バタレチャンゴとトレッキングです。朝の日ノ出は素晴らしかったが、残念ながらヒマールは見えない。 東に太陽が西には月が綺麗に出ている。日本では余り見えないだろう。 観光客がほとんど来ない村。小さな村中を通ってのトレッキング、村人とのふれあいを感じながら歩くのは楽しいものだ。ただ田舎の事でも有り、写真は写さなかった。 マンシン家を8時過ぎに三人は出て、先ずチソパニに向かう。チソパニ村に向かう道は日本のNPOが造った道だと教えて頂いた。チソパニはほんの数軒の小さな村、子供達が可愛かった。 途中の用水路も日本のNPOとの事だが、後の管理が悪く状態は悪かった。ボンビオカレララでは、村の娘がロキシーの材料の粟を整理していた。話しかけると笑顔が愛い娘でしたが、写真は撮らせてもらえなかった。 ボンビで軽く茶をした。この付近は白人達がときたまテントトレッキングに来るという。最近コーヒーの木が植えられていた。今はネパールは紅茶が主だが、コーヒーも普及しつつある。ネパールコーヒーは少し苦みのある濃い味がする美味しいコーヒーです。 道はだんだん広くなりバスも通っているが、私たちは古い昔の家中の道を進んだ。 家が途切れたあたりに花咲山(hanasakiyama)と言う看板が出てきた。聞くと日本の宗教団体の建物があるとの事。広くなった道はこの宗教団体が造った物らしい。 宗教団体の建物に行き当たり行けなくなった。門標にはREIYUUKIと書かれていた。日本の霊友会の事だろう。 ここを通らなければ戻って別道を行かなければいけない。中で働く方に私は日本人で霊友会を知っている旨を伝え、管理責任者の許可をもらって中に入れてもらった。時々霊友会の方や日本のNPOや要人が使っているらしい。ヘリポートに案内され景色を楽しんだ。ポカラ、フェワ湖が美しい。 下に降りると日本の石が有ると言う。日本から持ってきたという。ナント、サザレイシ 私は初めて見る石だった。(国歌の中にある) お礼を言って別出口からプンディーの村に向かう。 プンディはブラマンの村だ。途中で一軒の農家でミカンを買い食べた。この家ではちょうど山羊が生まれ必死に立とうとしている所だった。 道か畦か分らない道を通り尾根に出た。尾根からはポカラやフェワ湖が美しい。ヒマールが見えれば最高だろうが、この尾根から最後までヒマールを見る事はなかった。 プンリコットに出た。プンリコットはヒンズーの女性のための神が祭られている。展望台も設けられているが破損がひどい。訪れる観光客は少ないのだろう。山歩きをしていないと少し厳しい丘でしたが、日本山方面からは道は整備されていた。 日本山ストーパー下の茶店で昼食をした。三人は鳥の焼きそば(ネパール風)を注文したが、不味い事この上なし。三人は食べられなかった。やけくそでトンガラシをかじって顔をしかめていると、横でタイの女性が笑っている。日本語と英語が話せた。彼女たちはウイスキー私はビール、ピスタッチョで彼女たちと楽しくのんだ。 日本山からキサンと登った道を下り、バタレチャンゴの吊橋に出た。 YADに帰るにはバッタさん(アンナプルナドリーム社支配人)の家前を通る、立ち寄り四人でアッカルさんの家前の居酒屋でマタマタロキシー、ネパールは楽しいだ。(^_^)/ 赤い入れ物はロキシーを買うための物 今日森の中で真っ赤な鳥の群れを見たが、写真は上手く写せなかった。ネパールは鳥の種類が多い。私の知る限りではニュジーランドと同じ位に多かった |
続く |