白六山と廃村大塔町中峰 2018/08/27 二人 |
総時間09:20〜15:40 6時間20分 距離約7.4km |
先ず白六山は、(しろくさん)と言うのが正しいらしい この山は、旧大塔村の高野辻から行けば極々簡単に行ってしまう三等三角点が乗る俗称、箱本堂と呼ばれる山頂だ。 高野辻から一度経験は有るが、この時に高野辻上に有る地蔵に書かれた、右中みねくまの、左そうたに、の字に 一度中峰から登りたいと思い続けて7年が経った 今回、Skoさんからのリクエストで、白六山を中峰から登ることになった。 |
コースは中峰直登、下山は大塔町惣谷と思っていたが、私の体力不足と暑さに負けてピストンとなった 先ず、大塔町中傍示から取り付くが、クルマのP 地点が無い事が問題だったが、県道ですれ違った車の方が、中傍示は二軒の家が住まう限界集落で、車の持つ方はいない。学校跡に停めろと教えてくれたが、学校跡がわからず、兎に角中傍示の最奥まで車ではいった 運が良い、最奥の家の奥様が、白六山ルートをご存知で、7年ほど前に学生が多数で来て、私の教えたコースで登ったという 案外簡単に行けそうだと話を完全に記憶しなかった。 |
教えられた通りに尾根先の祠と書いた尾根先に向かう 道は残るが、状態の良い道ばかりではなく、兎に角分かりよい道を選んで登ってゆく 取り付きは、奥様が案内して下さった写真の道だ ↑ 写真中央の右傾斜道が取り付き 最奥の家の上の凸地に車を止めて、下る方向右手上への道に取り付くと直ぐに廃屋がでて、地図から其の位置を確認する この廃屋までは、アスファルト舗装があったが杉の葉の下で分かりにくい |
此処だと位置を確認するが、道の分岐も分かりづらく、地図位置をGPS から確認する 彼方此方に、廃屋や石積みなどが有り、畑跡か民家跡か石積みの状態から確認して、道を探す |
道は状態良く残っているが、杉の小枝や植林の倒木とハッキリ見えない所も有る 大まかに尾根先の祠と書いた方面にコンパスをあわす。 最奥の家の奥様曰くに、白井谷を目指せ、白井谷を越えて水の無い谷を越え、其の先10歩ほどで道が有る。 其の先は道通りと言う。 尾根先には祠が有る。とこの話をハッキリ記憶にとどめておけば良かったのだが、直ぐに忘れる二人だ (下山後聞きなおした) |
木製電柱を切り倒した跡が出る。電気は通っていたようだ 地図の卍マークの地点まで地図やGPSを頼りに其の地点を確認する この付近が大塔町中峰集落の中心地だったようだ トイレ跡建物のみが残っている比較的広いところに登ってみた 此処で道が分岐しているはずだが、直登道はハッキリしないが、尾根先への道は分かりよい 上の平地には、雑穀機の残骸と圧し麦を作る機械の残骸が有り、下に電柱を支えていた絶縁碍子が有った 発動機では無く電気モーターが使われていたのだろうか 五右衛門風呂の跡もあるが、水は豊富に有ったようで、どの家跡にも風呂跡が有った 白井谷か東側谷からトユか水路があったのだろう 畑か田か分からないが耕作地は広い |
寺跡を通り過ごしたようだ。戻り登るのも嫌だと祠に向かうが、右手上に巨木の銀杏の木が有り、寺には良く植えられている 此処では無いかと思って登って見たが、其の跡は見つからずに、モット上だろうで地図確認をした。 下のほうにも廃屋が有り、どの家々も大きい、豊かな村だったのだろう 尾根先に小さな祠が有り、祠前に巨木の山桜が有った。 近くの高野槙を折って供えておいた ソウソウ、祠はお稲荷様のようだ。狐が一対置かれていた。 その先は、道が綺麗に残り今も使われているような綺麗さだ 道成りにゆく |
この先で道が下りに入る 此処で、最奥の奥様の話をハッキリ記憶にとどめればよかったが、白井谷を越えると言ったのかどうかが??となった と其の上に道が分岐して、木に福本山H11・5と書かれた木から道が分岐する 上だろう。白井谷を越えれば余りにも大回りだと読図した これが、大間違いで白井谷を越えるのが正解だった。 |
分岐の上の道を進んだ。 少し先で道が抜けたのか、終わったのか分からず、下を見ると白井谷に橋が架かり二人で相談して斜面を注意深く行くと道が現れ、道抜けと判断した 其の先で、小さな谷が出る。 これが奥様の言った谷だろうか、しかし谷を渡るが道は無くなった もう引き返せない。 右手上の、尾根直登道にフー這い登った。 |
尾根中央に道がハッキリと有り、もう道は間違わないだろうと登るが、傾斜が、術後体力が落ちたショウタンは、両杖でも待ってーとビスタリー |
ドンドン登ればネットが出てネット添いを登る ネットが終われば自然林で、地形から現在地が読み取れる Co1000m地点と確認した。ふー 後標高差180m程度、この付近から雑木がメチャ綺麗な広尾根斜面と成り、Skoさん先に行って三角点で待っててなんて、ショウタンは動けなくなってきた。 |
標高差100mを20分歩行が限界のショウタン、フー 山頂は前回上った時となにやら違う気がした 多くの山名板が賑やかだ。 今日のルートで登られた方はいないのか、目印のテープ類は完無だ 山頂と三角点、中峰 等級種別 三等三角点 基準点名、中峰T 標高1189.37 北緯 34°09′52″.2546東経 135°46′40″.0659 所在地 旧、吉野郡大塔村中峰字大迫奥石休野左大クエ、354〜2 俗称、箱本堂 選点 明治36年6月7日 |
7年前に来たときは、疲れで電波塔に行けなかった 山頂は風もない、電波塔なら見晴らしが有るだろうと行って見たが、風もなく見晴らしも無く、オマケに植林伐採準備中だった |
今日は周回は無理だと、ピストンだ。 自然林の中でご飯を食べようと斜面を下る 道が東に曲がる地点は傾斜から読み取れる 風も少し有る 倒木にすわり、ハイキング弁当風のおむすび、イチジク、バナナ、チーズと、Skoさんのソット差し出す泡茶がたまらない ほとんど休憩無しで歩いた。 木出しのワイヤーが一重結びで繋がれたていたのを見ていた 太いロープと細いロープの結合や金属ロープとクライミングロープ等との結合に向いている一重結びを練習したり 一重結びの多様性を研究した。簡易チェストハーネスやテープシュリンゲの接続などは一重結びが使われる トラバースロープのすばやい始点方などをワイワイと研究した |
帰路は尾根中央を下るだけだ。 下山は尾根道に拘った。 道なりに下れば 民家跡最上部の部分で道が全く消えた。 記憶に有る。卍印の寺跡に下るが、モウ倒木で此処だあそこだ、ワイワイ 最高所に有る家は半分残して立っているが、道は何処 結果、お稲荷さんの尾根先に下るのが一番良さそうだ 兎に角、此処で卍印の寺跡を探そうと、これはGPSから特定しようとしたが、すでに其の位置を下りすぎていた ところが、どうしても卍印の位置は、余りにもお寺が立っていた位置にしてはオカシイ 寺には銀杏がよく植えられている そこでは無いかと登りに見た銀杏の木の下にゆくと4m四角程度のお堂跡らしいものが有り、柱の据え石跡が有った やっぱり地理院が位置表示を間違っていた 下山後奥様に尋ねると、イチョウの木の所だとおっしゃった 銀杏の木と寺の柱跡、道から寺に登る道 寺は、脱穀機が有った広い平地の真ん中付近だった |
登りは地図に載る道を外れていた 下山は極力道を探ったが??と分かりにくい 二人は別れ道跡を探ると、Skoさんが見つけて道なりに下る 一部は、??と感じたが、取り付きは直ぐ下だ |
車道まで下り、奥様がいればお礼を言おうと家を眺めると、奥様が傷めた足をかばいながら車にきてくださった |
話をまとめれば、 奥様は白井谷を渡り、水の無い小さな沢を越えて10歩ほど先に斜面に登る道が有る これが古道ですとおっしゃり、中峰の直登道は、山仕事用の道だという 下りには旅人も下ったのだろうが、登りには不向きな傾斜だ 奥様が教えて下さった道は、熊野古道でも有り生活道だったのだろう 大塔村の山村は熊野や大峰に続く道が生活道だったのだろう 奥様は村が賑やかだった頃は、店を開き村人や旅人相手に商売をしていたという キノコを取りに山に入り道を間違った話、猪のネヤに落ちハマリ、友達に引き上げてもらった話、山村ではの話を聞いた 奥様は、村の生まれで85歳、今も猿と戦いながら野菜作りを楽しんでいるという たった二軒のみになった大塔町中井傍示の村はヒッソリとしていた 又機会が有れば、大塔町惣谷を入れて山を楽しんでみたい 地蔵が惣谷に道が有った事を示しているが、その道は惣谷で聞けと通りすがりの男性が教えてくれた 私の参考記事 殿野から唐笠山、三角点殿野(柵休場山)、高野辻経由、白六山にリンク 高野辻から白六山ピストンにリンク |
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