紀泉高原 六十谷駅から紀伊駅縦走 2018/04/05 単独 |
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六十谷駅から紀伊駅周回を上人山から直川道を登り紀伊駅コースを紀伊まで下った 上人山は久々に登る。古刹は有ったが今は廃寺となって、おきの地蔵様が祭られている 駅からのコースは書きにくい、地図で書いてみよう 六十谷駅を出て、北に進めば正面に見える山が上人山だ 直川右岸を歩けば、川には鯉が泳ぎ、道にはアンネのバラが有る教会が、道の家々には花が咲き山歩コースに良い所だ アンネのバラの協会は仏教徒の私でも、クリスマスはミサに参加できる。 私も仕事が無ければカアチャンと聖歌隊の賛美歌や歌劇を鑑賞する 今日のコースを歩く気に成ったのは、昨日の縦走で六角堂で出会った神戸の女性二人が、紀伊駅から山中渓に縦走しようとしたが取り付きが分からず相当遠回りして六角堂に来たようだ。 和歌山ジャンクションが京奈和道と繋ぐに当たり長い間紀伊コースは通行が出来なかったが、三月から通行可能となった。 何処でどうなったのか調べたいと、紀伊駅に下る事を計画した コースは上人山を越え、四ツ池コースから直川道を歩く 山裾を右に入り、写真の道を鋭角に登ってゆく 写真のようなコースで歩くが、案内が有ったが字が消えている おきの地蔵に向かって登る そこが廃寺跡だ 沖の地蔵裏から山に入れば、是徳上人の墓や尼僧の墓が有るが、お参りの跡は無く寂しい 上人山の遺跡案内には 上人山是徳庵は、明暦年中(1655〜1658)に高僧是徳上人により開基建立された 当庵は、東西五間、南北五間有り本尊阿弥陀仏(二尺三寸)脇士是徳上人坐像が安置され多数の参詣跡を絶たなかったと言う ここより少し登った所に周囲10坪余、四方に菊花紋章の刻まれた名号石がある 一条大政所、従三位、源得子名号百万編書写之と刻まれ、当時疫病が流行のとき祈願の為、天保9年1830年、建立された 台石には京都御殿女中よりの彫刻あり、当時ここに住する僧は尼僧で、京都の御殿女中で尼僧となった人々が余生を送った所でも有る と、直川史跡保存会看板が有る チョット秘密だが、名号石下部に銀一千貫が隠されているとか、 右手に掘り出そうとした跡が有る??? 笑い 巨木の多い斜面を登る。何も邪魔をする物が無い登りよい斜面だ 私的に、ここに砦か城跡を感じるがさてどうなんだろう |
上人山山頂には三等、三角点直川がある コースにはマークも多いが、最近登られる方は少ないようだ 又この山には蛸壺と呼ばれたと言う。太平洋戦争時に機銃掃射用の穴が開いている 和歌山の製鉄所を狙って爆撃が有るだろう事を予想して紀ノ川上空を飛ぶ飛行機を狙おうとした跡らしい 兵隊は、当時まだ現存していた尼寺に寄宿していた |
山頂から最短で四ツ池の最上部の池に下ろうとしたが、先端は急傾斜で下るに危険だ マークに従えば少しは下りよいと反省した 四ツ池コースに出れば、古道の直川道をひたすら登ればいい 途中のエビ峠で休憩して、鉄塔の有る地蔵峠を越え、紀伊道分岐までひたすら登ればいい 途中に行者堂への分岐が有る |
紀伊駅分岐は写真の位置だ 地図では |
紀伊駅方面には踏み跡も有り、通行が出来るようだ 安心して下る このコースは整備は少ないが、道はハッキリと有り私などは階段やマークが無いほうが好きだから、下るに楽しい 途中で、三角点、弘川を尋ねて下った 桜は残っていたが、南斜面はミツバツツジが無く、モチツツジとヤマツツジが綺麗だったが、桜にはかなわない コースは単純で足下を注意して歩けば危険は無いだろう 久々な紀伊コース下りだ コースの様子は写真が一番だろう グーグルフォトにリンクしておきます 紀伊駅コース写真 竹薮が出れば其の先に金網囲いがあるが、錠の無いゲートがある。 其の先のトンネルを通り、もう一つのトンネルも抜ける 二つ目入り口付近が、以前の登山口付近だ 紀伊駅から登ろうとすれば少しややこしいだろう 六十谷駅から登るよりは車道歩きは短いだろう 二つ目のトンネル 山のほうを見る舗装がされるだろう道が工事中だった 神戸の女性は写真に有る矢印に惑わされ、もう一つトンネルがある事が分からなかったのかも?? 二つ目トンネルからは地図案内が一番良いだろう 出口から駅までの写真にリンク |
駅が見えても改札は南側だ。 踏み切りを越え改札に向かう |
3階に登るほどの階段が有る紀伊駅、エレベーターでと思うがなにやら恥ずかしい 階段をトボトボ登ると、直ぐに電車が来た 一駅だけの電車だがなにやら遠くの山に登った感覚だった 総時間は12時10分から16時50分だった 紀伊駅から登るには案内は無い。 マタマタ、登山口だけでも案内を付けておきたいです。 |
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