桜井市の里山

桜井市の里山ハイク
鳥見山、外鎌山、岳山(鎌倉岳)ハイキング登山
2017/01/06
3人
桜井市の山々は低山だが歴史的に古く、ハイキング登山としては面白い。
今回のコースは、宝来の鈴女子が知恵を絞ったルートですが、思いもよらず以前にハイキングコースとして整備されていたようだ
途中に古い道標が出て、消えた字に目を凝らせば、そのコースは予定コースそのものだった。
先ず、近鉄大阪線、桜井駅南の鳥見山からスタートだ。
干支である酉の年、少しは注目されそうだが、本家本元と言うべきもう一つの鳥見山に人気が集まる
靈畤の鳥見山は歴史の山で山と言うより歴史探索の道歩きというほうが正しいかもしれない
先ず、等彌神社(とみ神社)の第二駐車に車をデポさせていただき散策路に入る
第二駐車場入り口

  
初詣を済まし、駐車場トイレ上の写真の鳥居から鳥見山に入る
  
鳥見山靈畤石標横の鳥居から登り始める。
直ぐに霊畤拝所、斎場山、庭殿、白庭山、霊畤の案内が出る。
直ぐの霊畤拝所に登って見た。
 
歌碑と霊畤の石版が出る。チョットロマンチックな歌に、ロマンを感じるが、山頂に行けない人のための拝所だ
道成りに登って行けば庭殿という小ピークに出る。歌碑があり小さな広場だ
   
道標に従うが、次の白庭山が??と分からず兎に角道標に従った。
  
小さな山頂に白庭と書かれた石碑が有り、ここが白庭山と言う事だ。
往時、朝鮮半島の白頭山とつながり、朝鮮渡来人との繋がりがあるというが私には分からない
白庭山が245mの測量点の上だ
下りこみ、巻き登れば靈畤の山頂でここが鳥見山の山名板が多いが少し疑問だ
白庭山と靈畤山頂は双耳法で、見た目は略同じ高さだが地理院地図は白庭山が最高地点の245mと言う事になる
鳥見山は全山を指す物だろうが、白庭山は最高点で、靈畤の山頂は245mで無いことが地図から読み取れる
読図はこういった面白いことが見て取れる。
で、案内の斎場山は分からなかった。
(後日記事を読まれた方から斎場山は最初の霊畤拝所が斎場山と教えて下さった)

靈畤山頂、ここに245mの鳥見山のプレートが多いが、240m少しと言う所だ。読図は面白い

次の目標は忍坂の外鎌山だ。ここも歴史の山で探れば面白いだろう
靈畤山頂からバリエーションで尾根を下るが、ここに道跡が感じられ、検索にこの尾根を下ったGPがいた
こんな低山で地理院地図で現在地を確認する人も少ないだろうが、知れば面白い間違いが発見できる。
なんて、地図を頼りに快適な尾根を下る
  
熊よけ用心棒のショウタンはこの付近は先ず安心だが、赤尾の集落に上手く出れるか、動物囲いや田の跡のウルトラブッシュは踏み跡作りのブルドーザー役に代わるのを恐れて、読図は二人に任せた。
尾根を選び下ると、耕作地跡に道が残り、囲い罠などが置かれ、道は健在だった
  
赤尾の集落に出ると小さな道標が目に留まった
 
忍坂山口坐神社、赤尾の大楠、直ぐそこ、桜井市で一番大きいが目に留まった
行くと、見事な楠木が鎮守の森のなかにそびえる
 
この楠は二代目で初代は室町時代に金閣寺の天井板として使われた。そのとき切り倒した木が隣村の忍坂まで届き、今も木の下と言う地名がある。との説明がある
歩きながら、外鎌山の登山口を探るが、一度登った経験と時間的理由から最短コースを選ぶ
朝倉台の団地から登ろうと記憶をたどるが思い出せずウロウロ、結果地図破線道が早かったが、目標の登山口は道標が多く出来、不動明王石仏の看板に釣られその方向から登った。
  
  
登山口が見つかれば過剰に道標が有り問題のない登山道だ
登り始め直ぐに不動明王石像の道標が出て見に行こうで話が決まる
  
トラバースに踏み跡道を辿れば、小さな谷の源頭部に石仏が出て、トユで人工の滝を作り修行跡が出たが、それは朽ち痛々しい
その真上が、尾根道だが、強引に尾根に登った。登った地点が、忍坂からの登山道だが、忍坂から登られる方が少ないようだ
一路山頂に向かう
 
一汗流す傾斜で山頂に登る。
山頂は最高の見晴らしだ
  
山頂からは、耳成山。畝傍山、天香久山と金剛山地から二上山まで奈良盆地の見晴らしは最高で、目を変えれば三輪山やダンノダイラから巻向山と最高の見晴らしの山だろう
山頂の三角点は点名は高間山でデーターは以下です、
北緯 34°30′40″.8132
東経 135°52′37″.1519
標高(m) 292.39

 
山頂で行動食を入れ一休み、下山は竜谷と決めていた。
バリエーションだろうと尾根を見てルートを決めていたが、忍坂、龍谷方面の道標、これを信じて下ろうと話し合い道標に従った。
  
道は快適で忍坂方面への下りの方向に少し疑問があったが、旧地理院マップに載る舒明天皇陵からの道に出会う
ここにも道標が出て登山者の声が聞こえ、登山者と出会い、話し合うとやはり忍坂からのルートを取ったと言いった
  
龍谷を竜谷(りゅうこく)に向かうと言うと、竜谷(りゅうたに)が正しいと教えてくださった。
兎に角道標に沿った。踏み跡は濃い
もう一つのコースで忍坂(おっさか)に行けそうだ。
木に上田山と書かれた地点でソマ道に出合った。

ここには道標が無い、地図から現在地を拾う。二人に読図を任せいい加減なショウタンは怠けていた。
急にソマ道が林道風に開け道が整備されていた。獅子罠管理のためらしい
 
正面にダンノダイラから巻向山の景色が美しい、集落は竜谷だ。
龍谷集落西端の龍谷三輪神社前で昼食を取った。
空身のハイカーが訪れた。
 
正面に外鎌山ピークが見晴らせ、来たコースが見える。
その先のコースを話し合い、三輪神社前から行くより神社北側の谷を行くほうが距離は無い
引き返し、最後の家下に入ると、谷はモーレツなネザサのブッシュ

地図を眺めもう一つ北の尾根から行こう。必ず道は有ると読んだ。
一軒手前の北上の裏から尾根に入る事ができた。
 
尾根に出ると道が有りやったーだった。
間違いなくこの道は岩坂、狛に続くと見ていた
 
道が広くなり、谷道との出合いの地点を読み歩くと、朽ちた道標が出て道は林道風に成ったが、字が読めない
龍谷は来た方向で反対は??上の字は狛方面、・・神社が読める。
と狛方面は目的方向だ。
神社は何神社か分からなかった

  
進むと古い道標だ出た。ここはハイキング道だったのだろう。
歩く人が無くなれば道標整備も無くなり朽ち果てていた
  
古道だったのだろう地蔵が寂しそうに鎮座していた。
先に進めば更に道標が出た。行き先を示す文字を地図から探る。
  
道は舗装路となった。
給水設備が出たその位置を地図から読んで、小さな建物印を見つける一番若い同行者が、マークが有ると言う
虫眼鏡で見ればなるほど有った。二歳違で私は見えないと鈴さん、二歳の違いだとワイワイ、会話は楽しい読図談義だ。

下ると、十二神社が出た。
ここで鈴さんは経験の有る道に出たと言う。
  
正面に巻向山やダンノダイラが美しい
鈴さんが下さった十二神社の謂れはこうだ。

<大字 岩坂>
十二神社、旧村社:上岩坂に有り
際神 国常立命ほか十一社、泊瀬朝倉宮跡伝承地の一つ(他に黒崎にも有り)
(21代 雄略天皇)

銀明水:深さ1.8m 径1m、大和名所図会:「岩坂の井岩坂に有り、一村皆此一井戸を汲むに借れ渇せず」

これから狛峠を目指す。
鈴さん資料に
<狛峠を越えて大宇陀へ>
持統6年(692年)
軽皇子、(後の42代文武天皇)が阿騎野へ狩に出た時の情景を詠む秀歌
柿本人麻「東の野に炎のたつ見えてかえり見すれば付き傾きぬ」をよむ

狛峠は重要な交通路だったようだ

ヤマレコデーターに
巻向(まきむく)〜ダンノダイラ〜狛峠〜宇陀に通じる古道の狛峠道は、
柿本人麻呂が飛鳥から宇陀の阿賀野へ行った時に通った道と推察されています。
由緒ある古道の峠でありながら、峠付近を示す道標などはありません。
と有る
十二神社の謂れ

十二神社から狛峠に向かう。
道は林道だ。
狛との分岐に道標が出た。そこからはダートな林道となる
  
狛峠越えは大宇陀への道で最近までハイキングとして整備されていたようだ
狛峠までのとちゅうに横猿岩がある。なるほど
 狛峠
狛峠はもう通られる方が少ないのか笹が生えかけ踏み跡は無い

狛峠から境界線に乗って岳山を目指す
いきなりの取り付きだが踏み跡は無い
 
小さなピーク、狛峠ピークで一休みだ。
ここからは踏み跡らしいものを感じ登ればいきなり林道が出た。
その先に朽ちた道標が倒れている。
思い出したように、ここにブッシュ掻き分け下山したという宝来の鈴女子、此れを登るという
もう、ショウタンでは通れないウルトラブッシュだ
  
突き抜けると林道が出るが、尾根はまさに通れない入れないブッシュだが、行くという。
此れには付き合えないとしり込みして、林道を登れば、林道終点に道標が出た
  
もう付いてゆけないスピードで岳山に向かう山姥鈴は、ここも下った経験が有ると言う
古いテープが有った。
あと少しに道標が出た。
ハイキング道が有ったことが示されるし榛原笠真方面からは状態良い小道が有ると言う鈴、本物の山姥だ ふー
 
NHKテレビ塔が出て、三角点は何処だとコンパスを取れば、マタマタ激しいブッシュの中だ
  
始めてきたときは綺麗で三角点付近で食事を楽しんだとか、今は猛烈ブッシュだ
  
地理院地図には西にに向かって尾根上を破線道が走るが、状態は背丈を越えるネザサか矢竹、モーレツに突っ込んでいった
少し状態が良くなったが、その先で又同じ状態だ。林道が尾根まで走っている所が出て、もうそこを下ろうと心見るが、方向に自信が無く又尾根に帰る。ブッシュだ
 
やっと状態が良くなり、ヤレヤレ、黒線の道に成った
三人はややこしい分岐を助け合いながら読図して、黒線を下ろうとしたが、途中で道が消えた。
ブッシュの向こうに、地図道が出たが、直ぐに道が抜け、抜けた穴に転び、立てないほど脚を痛めた
山姥が念力を送ったのか、傷みがスーと消えた。もう黒線道はあきらめ狛に下ろうと決める
 道が消えた付近
狛に出て後は車道歩きだ

帰路の途中で、相撲の開祖、野見宿禰塚の案内がありそこを尋ねた。
相撲では勝ったが、塚は壊され田と成り悲しい思いだ

入り口 田の中の石標
道横の案内

後は長谷寺駅まで歩き、桜井駅まで電車で帰り、更に車まで歩いた

総距離データーは以下だ


コース的には、十二神社から狛を下り、電車で帰るのが理想だろう
又、岳山の尾根には、衰丸長者屋敷跡や鯛の骨などの地名が有り、働かず富みを得れば、富は直ぐに無くなる話しの地などがありマタマタブッシュに挑戦してみたい気がする懲りないショウタンだ。
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