田辺市の衣笠山(衣笠城跡) 2011/11/07 単独 |
麦粉森山を周回して下山したが、14時20分と時間が早い そのまま帰るにはモッタイナイと、衣笠山に登る事にした。衣笠山は古城跡で、南朝に身方した愛州八郎源経信の居城跡だそうだ。この城の事を知ったのは、田辺市の奇絶峡上にそびえる高尾山中腹にある鷹ノ巣城跡に登った時だった 今回も下山して、帰宅準備している時に、村人から、コノ三栖付近に四ッの城跡があると教えて頂いた 衣笠城跡、滝口城跡滝口山 浄土山(城土山)、もう一つは衣笠山の正面の山(三角点細井の有る山)、(記憶が抜けた) マタマタ時間のある時にこれらの城跡山に登ってみたい |
先ず山頂にあった史跡の紹介から書いてみよう 写真に有るように、別名愛州城というらしいが、鎌倉時代の中頃の城跡と書かれている 下山中に畑作業の方に聞くが、山城だが井戸があり水は豊富にあったとか 今もその水脈から水が流れていた 水脈は北側にある高尾山の続きだそうだ 相当な干ばつの年でも水は涸れないと言っていた 城の上段、中段 下段の曲輪跡がハッキリとある 又空堀跡も見られた |
前置きはこれくらいにして 計画になかった衣笠山、地図はなくとりあえずこの付近から登るであろうと推測して、左会津川沿いの三栖小学校横に行く 小学校上に、曹洞宗の尋声寺に向かって歩く 右手上に寺に登るように道はカーブするが、畑に向かって直進した とにかく直登でと、山頂近くにある電波塔に向かって畑内の小川横を登った 上手く上まで登れずモノレール沿いを登るが、台風12号跡の痛みが激しく、畑内も山抜けが起こっていた とにかくモノレール沿いを登ると農道に出た 結果、尋声寺へ登る道の続きに出た とにかく目視で登っている 農道終点付近から、右手の尾根に取付こうと、畑内作業道を尾根に取り付き、雑木内に入る 落ち葉が滑る 直ぐ横が北側のミカン畑、途中に猪打スタイルの跡があり、オエッ、チャンと始末しろよ まだ新しい、オッ人が通った証拠だ 上に向かうと、空堀と曲輪跡が、一段、二段と有った 直ぐ上が、本丸、上段だ、ごく最近笹が刈られていたが、整備とは言い難い 山頂は見晴しが最高で、田辺市内が見晴らせる絶景の地だ 夕日が田辺湾に落ちる 木がなければ、他の城跡山が全て見えるだろう 白浜方面↑ |
三角点を探そうとしたが、刈り取られた笹や草の下になって探せずだ 三等点、衣笠山は探せなかった |
山頂まで車道が登っている 下山してから、車で山頂まで登ってみたが、フィットでも簡単に登れた 麓の中の宮バス停前の道を登っていく、私のカーナビは三菱製、この道は載っていなかったが国土地理院には載っていた 下山は車道を下ってみようと下りかけると、左手に古道跡が、オヨこれを下ろうと下るが直ぐに畑が出て行きどまる 止む終えず、畑内を登った方向に下り、登った林道に出た 丁度、作業中の農家の方がいて、衣笠城の話を聞く 私の下った道は昔の道だが、下まで続かない。と教えてくださり、城跡の草刈り作業もしたという この、下り道をまた時間を見つけて刈り取ってくださると言っていた 昨日も若い女性と老男女が和歌山からここに来た ルートを尋ねられたが、モノレールで山頂下まで乗せてあげると喜んでいた ここに湧く水は、高尾山から押し上げる水、水脈が続き、城跡にもこの水脈の井戸がある 下山は車で送ろうと言って下さるが、自分の足で道を覚えたいと下山した |
一時間40分の短い時間だったが、村人の親切に出合い古城跡を楽しむ事が出来た |
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図 画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平23業使、第2号)」 |